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私の第三十四夜をつづります。

歌人相模の初瀬参詣ルート補記②:宇多上皇“宮滝御幸”での淀川渡河の可能性

 
 歌人相模の初瀬参詣での龍田山(竜田山)越えルートを探るなか、898年の宇多上皇一行の“宮滝御幸”を知って、そのルートに興味をもった。つまり、宇多上皇“宮滝御幸”ルートで淀川を渡河した可能性があるように思ったからだ。

その宇多上皇“宮滝御幸”では、遊猟の要素も大きいように想像されるので、898年当時の一般的な“京~大和国往還路”を採らなかったかもしれない。それでも、京から大和国に向かうにあたり、宇治川を渡河したのか、淀川を渡河したのか、およそのルートについて自分なりに調べ、淀川渡河の可能性について想像してみた。
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宇多上皇“宮滝御幸”での淀川渡河想定ルート~
8981020日〕
10001030 朱雀院(右京四条一坊東)西門を出て、騎馬で三条大路を東に進み、朱雀大路を南に下る
10301100 九条大路を西に進む
11001130 川嶋之原に至る 
*川嶋之原:不明。現・南区吉祥院中河原付近か。参考地名として、桂川を渡河した西京区に「川島」がある。
12001230 葛野河(桂川)を渡る
15301600 豬阿街に至る 
*豬阿街:不明。現・向日市上植野町付近か?
(日暮)    南に向かう 【現・西羽束師川に沿って南下?】
(日没)    赤目御厩に至る 
*赤目御厩:不明。現・伏見区淀樋爪付近か?
19001930 夕食
8981021日〕
 830900  朝食【「赤目御厩」から桂川沿いに南西に進み、山崎付近で淀川を渡河?】
 10301100 片野之原へ向かう 
*片野之原:現・枚方市北西部の淀川東岸一帯と想定
8981022日〕
         宮滝へ向かう 【「片野之原」から南東に進み、木津川沿いに大和国へ?】
*宮滝:現・奈良県吉野郡吉野町宮滝
8981023日〕
(早朝)    道を枉げて法華寺へ向かい、参詣       
        【木津から奈良阪を越え、西に折れて法華寺に向かい、“旧宮”(平城宮)へ?】 
        良因院の素性法師が一行に加わる
        【“旧平城京”を下り、下ツ道を南下?】
(日暮)    大和国高市郡の右大将(菅原道真)山庄に泊
         *菅原道真の山庄:高市郡内の場所は不明
8981024日〕
         現光寺に向かい、参詣
         *現光寺:奈良県吉野郡大淀町世尊寺に所在した寺
         吉野郡院に泊
         *吉野郡院:不明
8981025日〕
         宮滝に至る
         龍門寺に至り、参詣
         *龍門寺:吉野郡吉野町山口に所在した寺
         別当伴宗行宅に泊 【現・吉野町内に所在か?】
         *別当伴宗行:不明
8981026日〕
         そのまま停留
8981027日〕
         出発
8981028日〕
 1000      摂津国の住吉浜を目指し、出発
          竜田山を経て、河内国に入る
8981029 日〕
                  摂津国住吉浜を目指す
         素性法師は一行と別れ、大和国の良因院に帰る
8981030 日〕
         船で江北に着く
竜田山~江北~住吉社の路程は不明。竜田山から住吉社への最短ルートは、陸路を西に採るものと思われる。竜田山を越えた一行は、いったいどこから乗船して「江北」という場所に向かったのか? 「江北」を難波津付近とすれば、平野川を船で難波津へと向かう迂回路を採った可能性はあるのだろうか?】 
         *江北:不明。現・大阪市北区天満付近か?
         下船し、騎馬で住吉社を参詣 【下船したのは住吉浜か?】 
898111日〕
1200      京都に向け、出発
 【所要時間から想定すれば、住吉社から騎馬か船で難波津に戻り、淀川を船で遡り、京へ?】
1600      楓河の西の源善朝臣小家に至り、“昏景”となるまで待つ 
         【山崎津で下船し、騎馬で西羽束師川を北上?】
          *楓河:不明。“楓”=“蛙手(かえで)”・“鶏冠木(かえで)”→“鶏冠井(かいで)”と連想
           をたくましくすると、“楓河の”西=現・西羽束師川の西(向日市鶏冠井町付近)
           との想定は可能だろうか?(源善朝臣の小家:“旧長岡京”内にあったか?)
(日没)    “昏景”となって以降(11時間半後)、朱雀院に帰着
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以上のように、路程で不明なことが多く、妄想の淀川渡河ルートとなった。ただ、こじつけにせよ、こうした淀川渡河ルートを想像することで、歌人相模の淀川渡河の可能性が広がるようにも思えてくる。(素人の俄か勉強のため、誤まった理解、恐ろしい誤記などが多くあるだろうことを自覚しているけれども、平安時代の旅の路程をあれこれと考える作業は楽しかった。)