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私の第三十四夜をつづります。

歌人相模の初瀬参詣ルート探訪⑧:「ふるのやしろ」

 奈良の旅の記憶が薄れないうちにと、「ふるの社」(石上神宮)…歌人相模の初瀬参詣7首のなかで、107の「良因といふ寺」・「よしみねの寺」の歌に名前が挙がる…についても、次の通り、書き留めてみた。
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 歌人相模の初瀬参詣からおよそ20年後(?)、菅原孝標女も初瀬詣でに出発したという。
 新潮日本古典集成『更級日記』(秋山 虔 新潮社 1980年)のなかで、菅原孝標女の旅の行程を眺めてみて、彼女の文章の魅力に改めて惹きつけられた。
 歌人相模の初瀬参詣ルートも、このようにたどることができたならば…と思わずにいられなかった。
 
 歌人相模と菅原孝標女の初瀬参詣ルートがはっきりとクロスするのは、「ふるの社」・「石上」の地点なのだと思う。そして私が訪れた石上神宮は、森の荘厳さ、社殿の華麗さを保っていた。しかし、11世紀を生きた二人の貴族女性が眼にした姿は、現在とはかけ離れたものであったろう。

 私にとって、石上神宮はおそらく二度目の参拝だった。しかし、かつての参拝の記憶は何も甦ってこなかった。
 いったい、若かった私は何を見て、何を考えていたのやら…と思う。いや、若い頃に限らない。今回の旅の記憶も、いつか遠いかなたへと薄れていってしまうのだろう…さびしいことだ。

菅原孝標女の初瀬詣での行程】…『更級日記』(秋山 虔 新潮社 1980年)をもとに要約
◆1046年10月25日
*京を未明に出発
*法性寺(現・東福寺の北側辺り)の大門で、遅れて出発した人を待つ
*宇治の渡り(現・平等院付近)で渡河
*宇治殿(藤原頼通の別荘)に入って見学
栗駒山宇治市)を越える
*やひろうちといふ所(城陽市字野路地か)で休憩
*贄野の池(綴喜郡井手町付近)で宿泊
◆10月26日
*贄野を出発
東大寺(奈良市司町)に参拝
*石上(石上神宮天理市布留町)に参拝
  「石上もまことに古りにけること、思ひやられて、むげに荒れはてにけり。」
山辺といふ所(現・天理市井戸堂町の辺りか)の寺で宿泊
◆10月27日
*初瀬川などを通り過ぎる
*御寺(現・長谷寺桜井市初瀬)に夜になって到着
◆10月28~30日
*3日間、参籠
◆10月31日
*未明に出発
*奈良坂(奈良市北方の坂)の京寄りの小家に宿泊
◆11月1日
宇治川の渡しで渡河し、帰京

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布留川を渡って石上神宮へ①(天理市布留町)

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布留川を渡って石上神宮へ②(天理市布留町)

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石上神宮楼門・拝殿(天理市布留町)