_____________________________________
歌人相模の初瀬参詣ルートも、このようにたどることができたならば…と思わずにいられなかった。
歌人相模と菅原孝標女の初瀬参詣ルートがはっきりとクロスするのは、「ふるの社」・「石上」の地点なのだと思う。そして私が訪れた石上神宮は、森の荘厳さ、社殿の華麗さを保っていた。しかし、11世紀を生きた二人の貴族女性が眼にした姿は、現在とはかけ離れたものであったろう。
私にとって、石上神宮はおそらく二度目の参拝だった。しかし、かつての参拝の記憶は何も甦ってこなかった。
いったい、若かった私は何を見て、何を考えていたのやら…と思う。いや、若い頃に限らない。今回の旅の記憶も、いつか遠いかなたへと薄れていってしまうのだろう…さびしいことだ。
◆1046年10月25日
*京を未明に出発
*法性寺(現・東福寺の北側辺り)の大門で、遅れて出発した人を待つ
*宇治の渡り(現・平等院付近)で渡河
*宇治殿(藤原頼通の別荘)に入って見学
*やひろうちといふ所(城陽市字野路地か)で休憩
◆10月26日
*贄野を出発
「石上もまことに古りにけること、思ひやられて、むげに荒れはてにけり。」
◆10月27日
*初瀬川などを通り過ぎる
◆10月28~30日
*3日間、参籠
◆10月31日
*未明に出発
*奈良坂(奈良市北方の坂)の京寄りの小家に宿泊
◆11月1日
*宇治川の渡しで渡河し、帰京