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私の第三十四夜をつづります。

2011年3月12~14日のこと

 今朝(2016年9月30日)の朝日新聞で気になった記事があった。
 菅元首相が起こした訴訟の控訴が東京高裁で棄却されたこと、菅氏が”上告する”と述べたことを知った。
 その控訴棄却の
「菅氏が2011年3月12日の会議で海水注入による再臨界の可能性を強い口調で質問したことが、海水注入を中断するという東京電力幹部らの決断につながった」
「東電による誤った判断につながったという意味において、菅氏の間違った判断があったと評価されるのはやむを得ない」
 という判断について、私なりに疑問を感じた。
 それは、私自身の2011年3月11日以降の不安な日々の記憶とは違うように感じたからだ。
 私が当時、TV報道から得た情報で、私なりに覚えていることは
 *原子炉への海水注入には問題があること
 *それは、海水注入よって原子炉が使えなくなり廃炉となってしまう、という事情があること
 *海水注入に躊躇しているのは東京電力側なのだろうと思い、不安な私は、政府は経営側の判断に立たずに、一刻も早く海水を投入してほしいと感じたこと
 こうした当時の記憶と、今朝の記事の控訴棄却の判断とがすんなりつながっていかない。
 当時のTV報道が事実を伝えていなかったのだろうか。
 私の理解力と記憶力が不十分だからなのか。
 最近、寺田学氏の「5年前の記憶のすべて」(ブログ「日々思うこと」(2016/03/11 )や、山口栄一氏の「メルトダウンを防げなかった本当の理由─福島第一原子力発電所事故の核心」(日経テクノロジーonline2011.12.15)を読んだ。
 福島第一原発事故の検証はどこまで行われ、検証された事実は人々にどこまで周知されているのだろうと思った。