enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

最初に記憶した木

 夏に琵琶湖と伊吹山を旅してから2ヶ月近くたった。
 最近になって、その旅の景色の空白を埋めるような写真を何枚かもらった。
 (琵琶湖畔に泊まった翌朝、カメラを置き忘れて散歩に出てしまった。それを埋め合わせる写真だった。)
 そのなかにポプラの木…たぶん…の写真があった。
 
 ポプラは、私が10歳前後の頃、初めて両親と北海道を旅した時、”木”というものの存在を強く意識させられた木だ。どこまでもどこまでも続くポプラ並木、そして広い空。
 その後、大人になってからは黄葉した落葉松の記憶が心の奥に何度もしまい込まれた。
 こうしてポプラと落葉松は特別になつかしい木になってしまった。

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豊公園の端に立つ数本のポプラ(たぶん):
 昨夜、TVで映画を見た。久しぶりに映画の世界の中に引き込まれた。その映画には、私にとって忘れられない昔のイタリア映画…『自転車泥棒』とはまったく別の視点から、特殊な父子の姿がきめ細やかに描かれていた。
 そして、私自身の”父”の記憶が浮かんだりした。当然ながら、映画で描かれた3人の”父”の姿とはどこにも重ならない”父”の思い出。それが、ポプラ?の木の写真とつながった。
 思えば、子どもの頃の北海道の旅は、祖父の家(夕張)や母の親戚や友人たちを訪ねる貴重な旅だったのだろう。私が記憶する数少ない父の印象的な姿というものが、その北海道の旅の中にあった。
 それは、夕張の祖父の家で何日かを過ごし、いよいよ帰ろうとする朝だったと思う。私たちは、祖父や兄弟家族に見送られてタクシーに乗った。そして、ぽつんとした祖父の家の前から車が走り出し、見送る祖父たちの姿が小さくなってゆく頃、父が突然大きく泣いたのだった。子どもの私は、『父は悲しいのだ…祖父たちのことで泣いているのだ』と強く感じた…と思う。大人でも泣くのだということ、家族と別れることは悲しいことなのだということを、その時知ったのかもしれない。
 父の記憶を思い出させてくれた昨夜の映画の監督は、『歩いても 歩いても』と同じ人なのだと、あとで分かった。