enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

先生のコーヒー

 朝刊の一面…読み始める記事の順序…歯磨きと同じくらいの習慣ができてしまっている。
 topの記事は、見出しをちらりと確かめ、読むのは後回しのことが多い。
 ともあれ(?)『天声人語』を、次に『折々のことば』を読む習慣。
 
 今朝は『折々のことば』のなかに、なつかしい先生の名があった。このコラムのなかで、先生の名前に出会う不思議。心は一気に40年前の先生の研究室に飛んでいく。

 先生の研究室は私の職場からちょっと不便なところにあった。先生の学校へ向かうのに使った交通手段…まっさきに思い出したのは”都電”だった。神保町から西ヶ原まで…たぐるようにして思い出す。
 たぶん、九段下から地下鉄で早稲田へ。そこから歩いて都電の乗り場へ向かったのだ。初めて乗る荒川線。馴染みのない景色へのかすかな不安。何回か通い始めてからは、先生に会う嬉しい気持ちが勝った。そんなかつての自分の”心の場面”をずっと忘れていた。

 先生は、今思えば当時40歳に近い30代後半の年齢だったのに、私には、それはそれは大人の方のように感じられた。まだ何の仕事もできない私を、先生は社員というよりは、一人の未熟な若者として迎えてくれていたように思う。
 緊張して訪れる私に、ゆったりとした話し方で応じながら、コーヒーを淹れてくださった。飲み終わったカップの底に残る泥のようなもので占いをするんですよ…そんな話をされながら。恐る恐る口にしたそのコーヒーは、確かにどろりとした舌触りだった。
 仕事の用件は、いつも形ばかりのものだった…原稿類の受け渡しは郵送でも済むものだった…ように思い出す。新入社員のつまらない話に応じてくださる先生は、やはり特別な存在だった。一度でいいからエジプトに旅してみたい、と話せば、行くのだったら砂嵐の季節は避けたほうがいいですよ…そんなやり取りが許されることが、先生の研究室に通う時の楽しみだったのだ。

 先生とのやり取りは、まだ私の心のなかに残っていたけれど、大学の建物は遠く移転してしまったようだ。あの研究室はもう、記憶のなかにしか存在しない…先生はお元気だろうか。