平成という時代、私は何をしていた?…
それは、どこか曇り硝子を通して思い出すような時間の広がり。
母の病気をきっかけに仕事を辞め、そして、生きる意味が分からなくなった日々。
なぜ、今日も明日も生きなければいけないのか…もがき続けた時代。
ある日、考古学の”場所”と”人”に出会い、再び、生きて活動する力を取り戻した。
また、11世紀の歌人相模という”人”と”時間”にも出会った。
昭和の私に、平成の私がまったく見えなかったのと同じように、平成の私に、令和の私も見えない。
平成の続きの日々を繰り返してゆく。
その時代に、生きる意味を問いかける私はもういない。
そして、月だけは時代を超えて輝き続けてゆく。
4月18日の月(石垣市)