昨夜、眠気をさますような記事を読んだ。
(以下は、記事からの抜粋・引用)
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「四天王寺(大阪市天王寺区)にある亀形石造物は、酒船石遺跡(奈良県明日香村)で出土した亀形石造物と同じ7世紀に造られ、二つの水槽がつながる構造やサイズも同じだったことが分かり、調査した元興寺文化財研究所(奈良市)が26日発表した。…」
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この記事に驚きながらも、納得した。
そして、その時に感じたことを、次のような妄想として書きとめたことも思い出した。
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亀井堂:今まさに、現代の善女の方々が”亀井の水”を訪れているところ。
堂内(内部は撮影できない)には湧水をたたえる石槽が設置されていた。その形が、飛鳥の小判形石造物に良く似ていることに驚く。
あの飛鳥の特異な石造物と同じようなものが、ずっと四天王寺内に存在してきたのだ…歴史的な時間と文化が、足元から地下水として湧出している…その地下水は繋がっている・・・そんなふうに感じた。
あの飛鳥の特異な石造物と同じようなものが、ずっと四天王寺内に存在してきたのだ…歴史的な時間と文化が、足元から地下水として湧出している…その地下水は繋がっている・・・そんなふうに感じた。
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今回の報道のなかで、亀井堂の亀形水槽は竜山石、との記事(『毎日新聞』)も眼にした。
思えば、四天王寺境内には、”竜山石”と推定される長持形石棺蓋も屋外に展示されていたのだった。
もし、2年前、亀井堂の亀形水槽も竜山石であることが分かっていたら、素人の私にも、眼の前の亀形水槽の古さに確信がもてたかもしれない。
当時はやはり、上の水槽の装飾(亀の頭や甲羅の表現)が気になった。なので、先後関係があるとすれば、飛鳥が”先”で、四天王寺が”後”と妄想していた。
まさか、同時代7cの制作年代が明らかにされるとは…その大胆な分析に驚くばかりだ。
こんなふうに、一つの”モノ”を巡って、素人でもあれやこれやと楽しむことができるのも、考古学の魅力の一つなのだと思う。
それも、こうして研究者たちによって新たな調査・分析がなされたからこそ、新たな魅力が加わるのだ。
そして、今回の報道は、私にとって平成最後のワクワク納め…こんな納め方ができて嬉しい。
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長持形石棺蓋(宝物館付近):”竜山石”との推定があるようだ。ずいぶんと傷んでいる。
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