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私の第三十四夜をつづります。

1945年夏の久米島を想う。

 

 

「…久米島に駐留した日本軍の通称「山の部隊」(鹿山正海軍通信隊長)が、6月26日の米軍上陸後にスパイ嫌疑で住民20人を殺害した。米兵に拉致された住民を「スパイ」と見なし、目隠しのまま銃剣で刺し、家に火をつけて焼き払うなどした。朝鮮人家族も犠牲になった。…」

「戦争終わったよ」投降を呼び掛けた命の恩人は日本兵に殺された  沖縄・久米島での住民虐殺  - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース から抜粋・引用】

 

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しんとした光のなかの久米島の海や浜辺が、ゆらゆらと眼に浮かぶ。
そして、1945年夏の久米島に生きていた人々はどこに行ってしまったのだろう…と思う。

また、沖縄戦の証言記録「久米島に生きて」(元 陸軍二等兵 渡辺憲央さん)や「戦時日記(抄)」(久米島具志川村農業会会長 吉浜智改さん)を読めば、1945年夏の久米島を知る人々が、今なお生きているように私に語りかけてくる。

六月二十三日(旧三十日)

 入山六十三日目 空襲九十三日目
 沖縄の地上戦は将さに風前の燈の如し。
 島民よ頑張れ、たとい如何なることがありても只生き永らえるのだ。

六月二十六日

 米軍上陸 入山六六日目 空襲九六日目
 午前八時 仲里村イーフ浜に米軍無血上陸す。
 島民は皆山へ山へ奥へ奥へと蜘蛛の子を散した如く四散した。」 

https://www8.cao.go.jp/okinawa/okinawasen/testimony/data/shogen02_11/shogen02_11.pdf より抜粋・引用】

 

「山へ山へ…」
人々が逃げ込んだ山は、あのリュウキュウマツに覆われていた銭田の山々なのだろうか。蝉たちが、青い空に向けて、命の限りとばかりに鳴き尽くしていた、あの山なのだろうか。              

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「無血上陸…」
良かった…あのイーフビーチのまぶしい白砂が人々の血に染まることは無かったのだ。

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私たちが泊まった宿のフロント近くに、小さな写真が飾ってあった。
そこに、宮崎駿氏に良く似た姿が写っていた。
『宮崎さんも泊まったのだろうか?』と思った。

旅のあと、「久米島はこの世の天国に違いありません。」という宮崎駿氏の言葉と、”風の帰る森”についての記事を読んだ。

”天国”…そうかもしれない…久米島の海よ浜よ、”風の帰る森”よ、いつまでも美しくあれ…1945年夏の久米島で日記を綴っていた吉浜智改さんも、きっとそう願っていると思った。

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             久米島で出会ったトトロ