enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

期待と不安の秋。

 

 

20日、期待をもって海に出かけた。
とても空気が澄んでいたので、富士の姿を期待したのだ。

その日の海は、波の色も澄み、大島のシルエットもひきしまっていた。
ただ、西の空には雲が広がり、富士山のほとんどがその中に隠れていた。


砂浜では高校生たちがラグビーの練習をしている。バレーボールコートやバスケットボ ールコートにも若い人の姿が…秋の海なのに、人々の賑わいがあった。

こんなふうに、コロナ禍の翳りは遠のいていくのだろうか?…このままコロナ禍がフェードアウトする未来を期待しそうになる。

しかし一方で、日本にだけ、いち早くハッピーエンドが訪れるものだろうか?…そんな疑いも湧くのだった。

 

20日には、選挙という即物的な物語も始まっていた。
午後、かかってきた電話に出ると、立候補者の録音音声が一方的に流れてきた。
21日朝には、同じ候補者の大音声が駅の方角から響いてきた(総裁候補者であっても、楽には勝てないのだろうか?と訝しく感じたことだった)。

21日夕方、街に出ると、人々に訴えかけている人がいた。野党共闘の立候補者だった。駅前の狭いスペースで、立ち止まる人は稀だ。聴く人もビラを受け取る人も、ごく少ないのだった。私はビラを受け取って、聴いてみることにした。

演説の間、佇む市民に挨拶して回る小柄な人の姿が眼に入った。党首のその人を見るのは、国会前のデモで見かけて以来だった。少し離れて立つ私のところにも近づいてくる。
パワフルなその人から短い言葉を掛けられ、次いでグータッチを交わした。
「頑張ってください」と返し、立候補者の訴えを最後まで聴き続けた。

候補者も党首も、その発する言葉に何のケレン味も無かった。いわゆる「つかみ」とも無縁な訴えだった。

誠実な言葉は、選挙区の人々の波に届くだろうか? それとも、ただただ、すり抜けてしまうのだろうか? 
最後まで聴いていた女子高生たちはどう受けとめただろうか?

少なくとも私は、訴えの真っすぐな言葉をそのままに受けとめた。『頑張れ!』と思った。期待と不安の秋でもあるのだった。

 

f:id:vgeruda:20211021225420j:plain10月20日の大島

 

f:id:vgeruda:20211021225456j:plain10月20日の海と人

 

f:id:vgeruda:20211021225629j:plain10月20日の浮き島? それとも房総半島の一部?