enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

どんな一年に?

 

 

いつからなのか、”存在”が存在し始めたし、”時”は動き始めた。”存在”は”存在”を生み、“時”の刻みはとどまることがない…不思議過ぎることだ。たとえば、命という存在は時とともに生まれ、時とともに終わってゆく。(逆に言えば、時が刻まれなければ”存在”は生まれることも終わることもできない。また”存在”が存在しなければ、”時”は刻まれない…もしくは、とどまっているように見える?)

年末に壊れた年代物のMDウォークマンのように、こんな堂々巡りが私の頭の中で空回りするのは、年の瀬を越えるという時間が非日常的なものだからか?

非日常の年の瀬を越えて元旦。
午後になって海に出かける。日常の海へ。
雪雲こそないけれどキリリと冷たい空気。いつものような車の行き来が無い道路。
元旦とは、そういえば、こんなふうに、空っぽの清々しさを感じる日なのだった。12月という年の瀬を越えてこその空っぽの清々しさ! 
これもまた、時がとどまらないからこそ、なのだろうか?

 

元旦の富士f:id:vgeruda:20220101201943j:plain

 

元旦の大島
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渚のピラミッド
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波の占い:記憶は消え、記憶は生まれ、はかない痕跡をのみ残してゆく…。
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