あぁ…三が日が終わろうとしている…ここで、毎年、ホッとするのだ。
あぁ、明日からまた何でもない日々を過ごせるのだと。
子どもの頃は学校に、大人になってからは勤め先に、私なりに真面目に通った。
これから先の見知らぬ長い時間への不安が、負の動力になっていたに違いない。
そんな生活を経たあとも「するべきこと」はあった。今も無くなってはいない。
ただ有限の将来を見渡せるようになった今、「するべきこと」をこなしてゆく真面目な動力が見当たらなくなった。
最小限の力でイイカゲンに暮らすことを知ってしまった今。
「するべきこと」が待ち伏せる年越しの季節を、イイカゲンにやり過ごし、イイカゲンに暮らして、はばからなくなっている。
そして『あ~ぁ、年越しの季節さえなかったらなぁ…』と、毎年グズグズとやり過ごしては、毎年ホッとするのだった。
1月2日の高麗神社:初詣はなぜかちっとも苦にならない…どころか、心休まる時間だ。