『ジェネレーション・レフト』をようやく読み終わる。
(レフトはレフトでも、”去った”世代の私の場合、読む本の些細な誤植などは目に飛び込んできても、肝心の内容のほうはなかなか頭に入って来てくれない。)
世代は時代から生まれ、時代は世代を置き去りにしてゆく。
私はさしづめ、怒涛の時代の海の汀線あたりに打ち寄せられて、日々、さざ波に洗われている…といったところだろうか。
14日の午後、久しぶりに”水辺の楽校”に出かけた。
冬枯れの空気。凍るような風に手がかじかむ。
それでいて、西に傾く陽のぬくもりがほんのり背中や腰を包み込む。
相模川(馬入川)の川辺を見渡せば、花も紅葉も無く、鳥たちの囀りも淋しいものだった。
そんな冬枯れの世界が、”去った”世代の私の心象風景として広がり、私を包み込んでしまう。そして、じきに、陽のぬくもりと光が遠のいてゆくのは、やはり淋しいのだった。
たっぷりとした雪衣装の富士山
揺らぐ水鏡
川辺の眠り猫
オニグルミとホトケノザ