1月24日の富士
1月がもう終わってゆく。
『まさかの3年目…』と思う。
昨秋、『来年こそは…』と甘く夢見ていたのに。
新しい手帳に特段書き留めることもなく、淡々と消え去ってゆく日々。
こうした平坦な日々を、地球上の誰もが手にしているわけじゃない…と思い返す。
24日午後、海に向かった。
途中、道路際の松林を見上げると、高い梢の緑の陰で、メジロやシジュウカラやコゲラたちが忙しく飛び交っている。小さいもの同士のささやかなおしゃべりとドラミングが続く。彼らの平坦な日々は見飽きない。
海に着く。
大島の島影は無く、富士は淡く、夕空に消え入りそうだった。
人影のほとんどは犬の姿とともにあった。
私のほかに海を見つめる人といえば…逆光のなかに、浜辺に座したままのシルエットが黒々と浮かび上がっていた。
夕陽と波で照り光る石のなかに、半ばあきらめつつ、軽石を探して波打ち際を歩く。
しかしもう、平塚の海に軽石が流れ着くことはなさそうだった。
ただ、翌日、家の郵便受けに、その軽石が3個、”漂着”したのだった。
封筒からうやうやしく取り出した軽石たちを、ためつすがめつした。
軽石たちは3個あわせても11グラム。
その触感は、クシャっと握りつぶせそうなほどに、はかなかった。
たとえてみれば、カマキリの卵か、はたまた、カルメ焼きかマカロンか。
火山から飛び出たアブクが瞬時に固まった…そんな光景が目に浮かぶようだった。
やがて、軽石のあまりの軽さが、何だかとても可笑しく思われてきた。そのあまりの軽さが、手に取った人の心も軽くしてくれるのだった。軽石のように、風通し良く、鬱屈が抜けていった。
(この軽石が流れ着いた沖縄…そこに暮らす人々にもし鬱屈があるならば、そして、その鬱屈を軽石に載せて海に戻すことができれば、やがてその軽石は青い海の底に沈んでいくことだろう。)
1月24日の海
闘い疲れた防砂柵たち
”残り火”
【沖縄に流れ着いた軽石たち】