enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

軽石のように軽く…。

f:id:vgeruda:20220126131748j:plain1月24日の富士

 

1月がもう終わってゆく。
『まさかの3年目…』と思う。

昨秋、『来年こそは…』と甘く夢見ていたのに。

新しい手帳に特段書き留めることもなく、淡々と消え去ってゆく日々。
こうした平坦な日々を、地球上の誰もが手にしているわけじゃない…と思い返す。

24日午後、海に向かった。
途中、道路際の松林を見上げると、高い梢の緑の陰で、メジロシジュウカラコゲラたちが忙しく飛び交っている。小さいもの同士のささやかなおしゃべりとドラミングが続く。彼らの平坦な日々は見飽きない。

海に着く。
大島の島影は無く、富士は淡く、夕空に消え入りそうだった。
人影のほとんどは犬の姿とともにあった。
私のほかに海を見つめる人といえば…逆光のなかに、浜辺に座したままのシルエットが黒々と浮かび上がっていた。

夕陽と波で照り光る石のなかに、半ばあきらめつつ、軽石を探して波打ち際を歩く。
しかしもう、平塚の海に軽石が流れ着くことはなさそうだった。

ただ、翌日、家の郵便受けに、その軽石が3個、”漂着”したのだった。

封筒からうやうやしく取り出した軽石たちを、ためつすがめつした。
軽石たちは3個あわせても11グラム。
その触感は、クシャっと握りつぶせそうなほどに、はかなかった。
たとえてみれば、カマキリの卵か、はたまた、カルメ焼きかマカロンか。

火山から飛び出たアブクが瞬時に固まった…そんな光景が目に浮かぶようだった。

やがて、軽石のあまりの軽さが、何だかとても可笑しく思われてきた。そのあまりの軽さが、手に取った人の心も軽くしてくれるのだった。軽石のように、風通し良く、鬱屈が抜けていった。
(この軽石が流れ着いた沖縄…そこに暮らす人々にもし鬱屈があるならば、そして、その鬱屈を軽石に載せて海に戻すことができれば、やがてその軽石は青い海の底に沈んでいくことだろう。)

 

 

f:id:vgeruda:20220126132709j:plain1月24日の海

 

f:id:vgeruda:20220126132725j:plain闘い疲れた防砂柵たち

 

f:id:vgeruda:20220126134511j:plain”残り火”

 

【沖縄に流れ着いた軽石たち】

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