ベランダの植木鉢のスミレたちはまだ冬眠中のようだ。
世界がコロナ禍の渦に放り込まれて4年目の春。
その禍の翳りが少しずつ薄れてゆく”雰囲気”に、まだすんなりと溶け込めない。
そして、ロシア侵攻という悪夢のなかでウクライナの人々が迎えた2年目の春。
人々に春の光が射し込む気配は感じられない。
それでも、この数日、TBSの記者(増尾聡さん)による現地レポートに、逆に私のほうが励まされたりしている。
また一方で、BBCの記者(アンドレイ・ゴリヤノフさん)の記事「ロシアで大勢が戦争を見て見ぬふりの1年、何が変わり何が変わっていないのか」を読み、人々の内心の葛藤を想い、他人ごとではないと思い至る。
この平塚でもつい最近、駅南口の駐車場の塀に、巨大な自衛官募集の掲示板が新しく設置された。
どこか時代錯誤な印象…そう感じるのは、現政権が前のめりに掲げる大義名分と、眼の前の看板から読み取る ”大義名分が行き着く末端の具体的現実” との落差が大きいからなのだと思う。でも、自分の違和感をきちんと表現できないし、なし崩しに変更されてゆく現実に、どう立ち向かえばよいのか分からないのだ。
やはり、私もロシアの大多数の人々と似ている。
昨日の今日、今日の明日を、これまで通り淡々と過ごしたい。
だから、眼の前でなし崩しに変更されてゆく現実に眼をつむる。
私に何ができるというのか?
でも、やはりそれではいけない…。
ベランダで冬眠中のスミレに問いかけている。