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私の第三十四夜をつづります。

「恥ずかしながら」と「ディスる」の印象。

 

13日…ベランダのスミレが濡れそぼつほどの雨だった。

久しぶりの雨。そして日頃の家事から解放された時間。そしてなぜか朝刊休刊日…。
少しずつ読み進めている『家父長制と資本制』が気になりながらも、参議院審議のネット中継を見ることにした。
(『アナベル・リィ』の次に読み始めた『家父長制と資本制』。その簡潔・率直な文体は抑制的でありながらも、”上野千鶴子、かく語りき”というような、著者の矜持が響きわたってくるように感じられるものだった。ただ、社会学を知ることなく過ごしてきた私にとって、前半の「理論扁」を飲み込むにはそれなりの努力が必要だった。この「理論扁」を越えた最後に待ち構えていた「補論」はひとまずパスすることにして、今は後半の「分析扁」に入り、ようやく少しホッとしているところでもあった。)

 

13日の参議院予算委員会の中継では、福山哲郎議員と高市早苗総務大臣とのスリリングなやり取りを視聴した。

やや甲高い福山議員の追及の声。防戦態勢でのぞむ高市議員のドスの効いた声。
国会での攻防の生々しいニュアンスが映し出されてゆく。新聞紙上に行儀よくまとめられた記事ではなかなか伝えきれないものかもしれなかった。

ことに印象に残ったのは、高市議員が口にした「恥ずかしながら」の言葉だった。それは、あの横井さんが発した言葉とは違って、いとも軽々と使われたように感じられた。なぜなら、高市議員は決して恥じ入ってなどいなかったのだから。
(また、その「恥ずかしながら」の言葉とともに「ディスる」という言葉が使われていたことも印象的だった。そもそも、総務省内部文書中で高市議員が「捏造」と主張する"4枚の文書"に記されたTV朝日『モーニングバード』などに関連しての高市議員の発言は、2015年2月13日時点のもののはずだ。なので、今回の参議院高市議員が言及した『羽鳥慎一モーニングショー』(2015年9月28日からスタート)は、"4枚の文書"が作成された2015年2月13日時点ではまだ開始されておらず、高市議員は何か勘違いしているように思われるのだった。つまり、”(TV朝日やその番組を)私がディスるはずもありません”というのは、”後付け”の言い訳であるか、記憶改変による誤った認識と思われる。高市議員の「自信を持って改めて否定をさせていただきます」「正確性について話をさせてください」との言葉は虚しく響くしかないのだった。)

こうして、13日の大半を家の中で過ごしてしまった。人はその記憶を都合よく改変するし、抗弁は時に見苦しいものだ…それは自省とともに銘記しなければならない。