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私の第三十四夜をつづります。

仏様たちに会いに行く(2023.09.16)

 

16日、東京方面に出かけた帰り道、上野の東博に立ち寄った。その日、「京都・南山城の仏像」展が始まったのだ。

午前中、少量の水分だけで蒸し暑い中を歩き続けたせいか、よろよろになった身体で本館にたどり着く(なつかしいユリノキの木陰がそこにあった …私のオンブラマイフ (^^♪… )
昼食抜きで栄養分も不足し、かすかに頭痛も始まっていたけれど、そんな行き倒れ状態の私にはほどよいボリュームの展示だった。

南山城…私には特別な思いがあるところだ。

20年以上前、母を喪ったあとに一人旅に出た先が、南山城であり斑鳩だった。
そして、南山城の地を訪ねるのは、その時が初めてだった。
(南山城では観音寺と蟹満寺の仏様にお目にかかった。その時のアルバムには、観音寺のご住職が私を撮ってくださった写真も残っている。国宝の仏様なのだ、ということを意識したのも、この観音寺の十一面観音像が初めてのことだったと思う。)

そんな思い出深い南山城の地に住まわれる仏様たちに、東京の地で出会って、気がつく。
自分の向き合い方がずいぶんと“鑑賞的・観賞的”になっているのだなぁと。
(たとえば、薬師寺の仏様は良いなぁ…9世紀なのか…やっぱり9世紀の仏様って良いなぁ…と、今の私はそんな眼で仏様を覗き込んでいたりするのだ。)

信仰の空間ではないところで、鑑賞対象として展示された仏様たちを、見知らぬ人々とともに眺めているから…かもしれない(何よりも、心より頭で向き合っているからかもしれない)。

できれば、南山城の地をもう一度訪ねたい。
そして、昔の私がどれほど自然に仏様に向き合っていたのか、思い出したい。
あの木津川の流れが変わらずにあるのか、眼にしたい…。

本館の会場を出て、あのユリノキの木陰で身体を休めた。
ホッとした。やっぱり上野に来てよかった…。

 

 

 

~「天王立像」(9世紀):本館1階の「彫刻」展示室で~

この「天王立像」に思わず見入ってしまった。
かつて私が心惹かれた男神立像(大磯町・六所神社とは似ても似つかないのに六所神社の神像は胴が細くくびれ、すらりと美しく、面差しは繊細で物憂げなのに対し、この天王立像は凛々しい顔立ちとは不釣り合いな5等身ほどのずんぐりとした体躯で、異様に大きな腰回りなのだけれど…その存在の威圧感、厳かさに不思議な魅力(頼りがいがありそうな?)を感じた。こうした出会いも良いのかもしれないなぁ…。