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私の第三十四夜をつづります。

「足柄」の神様・仏様たち。

 

秋晴れの13日、神奈川県立歴史博物館で開催中の『足柄の仏像』展に出かけた。

これまで、印刷写真で眺めていた仏様・神様が目の前に…。
(あぁ、あのお像はこのような木肌、このような色合いだったのか…こんなふうな立体感だったのか…そんな驚きの連続だった。)

また、”足柄”(足上郡・足下郡)の地に仏像・神像群が出現・展開してゆく前段として、まず千代廃寺跡小田原市千代)が採り上げられ遺跡から出土した塑像片(花形飾り、金箔の残る連珠文帯の破片、螺髪、塼仏)、6種類の軒丸瓦などが展示されていて…考古資料そのものとしてではなく…、それらの宗教的な本来の姿に想いが及んだ。
(これまで考古学的な視点から、”郡家隣接寺院”という位置づけで捉えてきた”千代廃寺”が、白鳳時代の仏教寺院としの”宗教的実在”を訴えているように感じられた。一方で、平塚の地における仏教の歴史の端緒について、いったい何に、どこに求めたらよいのだろう?とも思った。)

そして、初めて拝した「万巻上人坐像」には…予想していた通り…圧倒された。
お顔の左側と胸を一文字に裂く鋭い割れ目が、あたかもお像に封じ込められた内的な霊力が、”お像の肉体”を切り裂いて放出した傷跡のように見えたのだ。
(肉厚で ▲ 型に膨らんだ鼻翼、額のへこんだラインに続くやや盛り上がった頭頂部、後ろ姿の重々しい量感などに感じられる人間としての実在感。耳や手指の表現に見られる超自然的な神仏性。全身にくまなく顕現している木目の魔力。それらが混然となった異様なパワーが、万巻上人像全体を包みこんでいるようだった。)

さらに、足上郡・足下郡から外れた大磯町・六所神社男神像・女神像が出品されていたことも予想外だった。
この特別展で六所神社の神像をこんなにも近く、まじまじと眺める機会に恵まれるとは…。
(小柄な男神像の華奢な体つきと繊細な表情、そして男神像・女神像に共通する特徴的な頭の鉢の大きさを、改めて確かめることができた。)
なお、この男神像の造像について、相模国府の移遷(大住郡から余綾郡への移遷)が契機となった可能性を想定する解説も付されていた(その時期は”11c末~12世紀初め”とされ、12世紀中葉よりやや遡った時期であることが気になった)
また、”毘沙門天像”のような神将形像を意識した可能性、朝日観音堂毘沙門天像との類似性から、相模国内に工房が存在した可能性などに言及されていることも興味深かった。
(こうした仏師工房の存在の可能性に意を強くして、箱根町阿弥陀堂の「菩薩面」などを見た際には、つい、『菩薩面などに似通う雰囲気の伊豆山神社男神像のお顔の部分も、そうした面作りが得意な仏師の手が係わっているのでは…』などと、いつものような妄想に走ったりもした。)

 

最後には”しょうもない”妄想に終わったけれど、”足柄”の各地域に住まわれる神様・仏様が一堂に会する空間に浸ることができた。私には本当に贅沢な空間だった。

 

~神奈川県立歴史博物館「足柄の仏像」展で~