enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

『神田祭』の鳶頭に涙する夜。

 

9日夕方、有楽町駅に着く。
駅前の桜は、ずっと吹き荒れていた風雨にも耐えて、ほんのり明るく咲いていた。

前回『桜姫東文章』を見てから4年ぶりの歌舞伎座だった。「四月大歌舞伎」の絵看板を眺めたあと、天井に間近い3階席にたどり着く。
今夜、再び仁左衛門玉三郎の舞台を観ることができる…夢のようだ。

場内が暗くなると同時に、21世紀に生きる私は一足飛びに19世紀の南北の世界で息をひそめる。
芝居は進み、舞台に土手のお六が夫と暮らす家があらわれる。

お六と鬼門の喜兵衛のうら寂れた暮らしぶり、その二人が交わすあざとい会話…それぞれの言葉や身のこなしの一つ一つに引き込まれてゆく。

やがて、夫婦がたくらんだ強請りごとは思わぬ方向に転がってゆく。

悪だくみに失敗し、どうおさまりをつけるのだろう…この芝居を初めて観る私は、舞台の夫婦になり替わって、決まりの悪い思いをする。

でも、その不安は見事に裏切られたのだった。

花道にかかるところで、”姿の良い夫婦”が軽口を叩きながら駕籠を担ぐ姿の何と洒落ていたことだろう(揃って背の高い役者さんなればこその見栄えの良さ…と思った)

舞台が再び明るくなり、ようやく遠眼鏡を外して息をふき返す。
死んだはずの男が蘇生する…という展開に沿うように、二人のよこしまな欲望と同居するアッケラカンとした気性が最後の場面で垣間見え、救われた。

場内では人々がお弁当を食べ始める。歌舞伎だなぁ…と思う(陰惨な結末が回避されることを、観客はみなご存知だったに違いない。私だけが剃刀の切れ味にヒヤヒヤしていたのだな…)

次は期待した『神田祭』…鳶頭姿、芸者姿の二人を再び遠眼鏡で覗きこみながら、仁左衛門の計算しつくされた色気に思わず涙してしまった。どこまでも軽やかで柔らかくてひたすら粋であること…涙はその軽やかさ、柔らかさに触れて溢れてくるのだろうか。

二人の艶やかな情愛や照れの繊細な表現…その抽象化されて仕組まれた愛の仕草、美しい動きに、ただただ心を奪われた時間だった。

今夜の二人の『神田祭』の空間と時間は、今夜だけの宝なのだった。

 

有楽町駅前の桜

 

歌舞伎座の前で

 

3階席からの眺め:いつも、身を捩りながら席に向かう客や、その大荷物が落ちたりしないものかと怖くなる席…。

 

銀座通り~すずらん通りの夜景