enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

茅ヶ崎市の木簡と緑釉緑彩

 2日、茅ヶ崎市遺跡調査発表会を聴き、居村B遺跡出土の木簡など、多くの出土遺物も見学することができた。
(毎回、見易くて、調査現場の特徴が伝わってくる展示をとても楽しみにしている。)
 居村B遺跡については、今回発見された四号木簡に「貞観」の年号が記されていたことで、この遺跡の年代観が平安時代により近づいたように感じた。2月の現地説明会で出土遺物を見学した際も、平安時代中心の印象だった(あくまでも素人の目で)。しかし、過去の居村B遺跡の調査で出土した二号木簡(「放生木簡」)が奈良時代のものと推定されているのに対し、現地説明会ではその時代の資料が少なかったことがずっと気になっていた。なぜなら、居村B遺跡の「放生木簡」が奈良時代であることは、北北西約3㎞に位置する西方A遺跡の高座郡衙、下寺尾寺院跡のあり方とも密接な関連を生じるからだ。この木簡が出土したことで、今後、居村B遺跡の位置づけがより明らかにされるのだろうと思うと嬉しい。
 また、2月の現地説明会で見た緑釉緑彩も再び目にすることができた。やはり、平塚市の六ノ域遺跡第3地点出土の資料と良く似ているように感じ、平安時代の大住郡・高座郡の郡司層や国府の官人によって、平塚や茅ヶ崎に持ち込まれたものなのだろうかと想像した。
 さらに四号木簡で「市田殿」の文字があったことで、これまで「市」墨書土器を”市場”の「市」と解釈していたことでよかったのだろうかと、墨書の解釈の危うさを思った。あれこれと思いめぐらし、12月の厳しい寒さも忘れた一日だった。