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私の第三十四夜をつづります。

鉄筋コンクリートを知らない時代

 16日、小田原市「御用米曲輪の整備に伴う発掘調査」の現地説明会に出かけた。整備の進む城址公園では蝋梅や紅梅・白梅、水仙の花たちだけが春めいていた。
 みぞれ模様の冬空のもと、広い調査現場で、文化財課の担当者の方たちから、御用米曲輪の蔵跡(江戸時代)、礎石建物跡(戦国時代)、庭状遺構(戦国時代)の3ブロックについて、長時間にわたって丁寧な説明を受けた。戦国時代~江戸時代の歴史に疎く、飲み込みの悪さもあって、残念ながら各時代の全体的な景観イメージを描くまでには至らなかったけれど、遺構全体に湧き出し溢れかえるような川原石や瓦片の量感に圧倒された。
 江戸時代の蔵跡では、コンクリートの基礎工事のように、布掘り遺構の中に大きな川原石がゴロゴロと詰め込まれている。周辺はびっしりと瓦片が敷かれてアスファルト工事のようだ。また整然とした石組水路や石積みを伴う遺構を見ていると、さらに時代をさかのぼって、飛鳥の遺跡や”狂心の渠”の語までも思い出す。
 なかでも、戦国時代の”上下段の庭”状遺構では、流水斜面に五輪塔の火輪が底面を外にして石畳のように貼られていることに驚いた。当時の人々の現実的・合理的な考え方を示すかのような転用アイディア。五輪塔であっても、石は石なのであるけれど、かなりの数の火輪がタイルのように扱われた遺構に”人間の生々しい所業”を感じた。
 「いずれ埋め戻されるが、皆さんの眼の前の生の遺構が放つ力を存分に味わっていただきたい」との職員の方の言葉通り、しばし、400年以上遡った時空間を回遊した気持ちになった。
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”上下段の庭”状遺構(御用米曲輪の南端部に造られていた庭状遺構の庭①~③のうち、東側の庭③)