23日、鎌倉で三つの史跡を巡り、それぞれの発掘調査成果などについて学ぶ機会に恵まれた。21世紀の日常生活から離れて、中世の時空に引き戻されたような一日だった。16日の小田原、22日の伊勢原、23日の鎌倉…”過去のかたち”を見学する喜びは何にも代えがたい。
午後の陽ざしのなか、伽藍跡背後の山に上がり、高台から俯瞰する。東・西の山と二階堂川に区画された閉鎖的な空間に、すっぽりと納まる永福寺の12世紀末の姿を想定してみる。
眼下の三堂基壇の復元作業の景観は都城のものとみまがうようで、その想定は宇治の平等院のイメージへと重なってしまう。平等院では、仏徳山から昇る夏至の太陽の光が池に反射して、堂内の阿弥陀如来像を照らし出すと聞くが、東に池と山を配する永福寺三堂についても、同じような光景が見られたのだろうか。また、夜半、東の山から昇る月は、広大な池の水面にどのように影を映したのだろうか。
眼の前の遺跡を見ながら私の思いは、いつも考古学を離れ、当時の東国に生きた人々の眼、思いへと、とりとめなく移ろってしまう。
12世紀末の地域の歴史の”一つのかたち”が現在の私たちの目の前に顕れる・・・そのような”場”が、30年に及ぶ発掘調査の成果をもとに整備・復元されることの意義はとても大きい。解説をしてくださった方は「これからの季節、東の山の桜が美しい。ぜひ何度も訪れてほしい」とのことだった。近くの瑞泉寺とともに、季節ごとに多くの人々がこの永福寺跡を訪れる日ももうすぐだろう。