また、国府域において、坪ノ内遺跡第5地点の大規模な総柱建物はどのような機能をもっていたのか。相模国庁の脇殿とされる建物を上回るようなその規模や、その時期(国庁廃絶以降)について、どう考えればよいのだろうか。埋納された「保」・「大夫」刻書土器が意味するものは何か。
盛りだくさんの資料を前に心がはやる。眼はそわそわと遺物の表面をなめるだけで食い込んでいかない。共催の形をとった二つの展示を、結局、ごく偏った視点で見学し、未消化のまま帰ってきた。
やはり、それぞれの遺物が出土したことの意味づけ、遺跡の性格について詳細な解説を聞いてみたいと思う。8月末の「平塚市遺跡調査・研究発表会」を待たねばならない。その日に行われる、やはり盛りだくさんの7つの発表を聞くことで、私の今年の暑い夏が締めくくられるはずだ。
真田・北金目遺跡群展から
真田・北金目遺跡群展から:鹿の絵画土器