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私の第三十四夜をつづります。

緑釉陶器…雑感(1)

 平塚市出土の緑釉陶器について、今回の「みどり色の器展」や尾野氏の講演をきっかけに、また新たな疑問が生まれてきた。自分の楽しみ…“相模国府の時代”をさ迷う楽しみ…を持続させるために、これまでも気になっていたこと、新たな疑問など、とりとめなく思い浮かぶことを書き留めてみる。
 
~「みどり色の器展」を見て~
テーマ別に展示された資料群から感じた特色を、①~④にまとめてみた。
 
 
①林B遺跡出土の猿投産緑釉陶器(註:この時点で、私は「猿投産」と思い込んでいた。しかしながら、後日、改めて「東海系」として出品されていることに気がついた。一方、集成では「尾張産」となっている。現時点では「猿投産」であるかどうか、確証がない。)
 …「器種・大きさなどが一定の規格で高級かつ量産的」という印象から、何かしらの儀式の必需品だったのではないか?と感じた。東国において、都城と同じように一定規格の緑釉陶器を必要とする儀式が行われていたとすれば、それは何の儀式なのだろうか?
 
国府中枢域(六ノ域・高林寺・坪ノ内遺跡など)出土の緑彩陶器
 …相模国府でも出土が希少な緑釉緑彩・白釉緑彩について、以前から、その年代・産地・用途が気になっていた。その出土地点は、国府域東端部の中枢遺跡と、国府域外の厚木道遺跡などに限定される印象がある。今後、勉強の機会があれば、緑彩の生産年代、主要産地、器種・使用目的などを調べてみたい。(厚木道遺跡の緑釉陶器資料の印象から、これまで漠然と、緑彩製品は9世紀でも早い時期?で、かつ畿内産が多いのでは?と想像していた。だが、今回展示された坪ノ内遺跡第5地点の緑彩資料の時期は、おそらく9世紀後半以降になるようだ。)
 
③四之宮下ノ郷廃寺出土の緑釉陶器(緑彩を含む)
 …今回、①群に次いで特色が見られたのが、下ノ郷廃寺出土の資料だった。①群と比べた時、「器種や文様の多様性」、「陰刻が細く繊細」、「京都産が混じる」ことが、大きな特徴のように思う。そして、素人が限られた資料を見た印象に過ぎないけれど、下ノ郷廃寺の緑釉陶器は、都城で暮らす貴族が個人的な愛用品として国府域に持ち込んだもの、また同じ猿投産であっても①群の量産工房とは別の体制で作られたものではないだろうか、と想像させる(「下ノ郷廃寺=国司館跡か?」との想定に大きく影響されているのかもしれないが)。
 
④真田・北金目遺跡群出土の緑釉陶器
 …当遺跡群は、余綾郡域なのか?大住郡域なのか?という大きな課題を抱え、相模国府との関係性も不明な地域だ。出土緑釉陶器もその一部が集成されている段階なので、今回の展示からその特色をうかがうことは難しいと思う。ただ、限られた点数の展示からは(破片のままではなく、復元品が多いためだろうか)、大ぶりの埦が目立ったこと、大きな「蓋」が出ていたことが特色のように感じた(これまで緑釉陶器の「蓋」を見たことがなかった)。今回の「蓋」は、大ぶりの埦とセットの形で展示されていたが、それぞれ出土地点が異なるので、あくまでも〝演出″なのだろう。果たして、セット関係となる「身」はどのようなものなのか(大ぶりの埦でよいのだろうか)、またどのような場面で使用されたのだろうか? と気になった。
 
以上、今回の展示資料のほかにも、構之内遺跡や湘南新道関連遺跡、厚木道遺跡など、まだ光があたっていない緑釉陶器が数多く存在する。今後、それらの資料全体のデータが集成され、かつ再び市民に公開される日が来るならば嬉しい。
 
 

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毛彫りのような陰刻花文(小型瓶 四之宮下ノ郷廃寺出土