『相模集全釈』から、相模と権現僧の歌のやりとりを引用させていただく。
「 心のうちをあらはす
305 忍ぶれど心のうちにうごかれてなほ言の葉にあらはれぬべし
306 手にとらむと思ふ心はなけれどもほの見し月のかげぞこひしき
307 みつの星天つ星をもやどしつつのどけからせよ谷川のそこ
308 賤の男になびきながらも身にぞしむくらゐの山のみねの松風
309 憐れびのひろき誓ひをまねくまで言はぬことなく知らせつるかな 」(相模)
「 心の中
407 言はねどもたのみをかけば何事か心のうちにかなはざるべき
408 みそらゆく月のかげをも身にそへて心のうちにさやけからせむ
409 にごりなく心のうちに水すまばのどけき月の影も見えなむ
410 松風のいとど身にしむものならば君が千歳ぞ久しかるべき
411 憐れびにまた憐れびをそえたらばこの世あの世に思ひわすれじ 」(権現僧)
「 心の中
509 言ひいでて心のうちにくだくれば水をむすびて石や打つらむ
510 月かげを心のうちに待つほどはうはの空なるながめをぞする
511 みちのくの袖のわたりの涙川心のうちになかれてぞすむ
512 頻浪はたちまさるとも吹きこなむ心のうちにまつのうは風
513 憐れびをあらはすとみば何事か心のうちに思ひしもせむ 」 (相模)
これらの歌のやり取りを読む限り、権現僧を大江公資と想定することはむずかしいようだ。『全釈』で、相模の306・307・308は公卿藤原定頼への秘かな思いを告白したものとしているように、彼女は、走湯権現にならば…という形をとって、夫以外の男性への思いを表明している。ことに306・308、510・512の恋心の”見顕わし”には不安を感じるほどだ。こうした相模のうちなる恋心の”見顕わし”に対し、大江公資が権現僧として返歌したのであれば、夫としての怒りと動揺がうかがえるはずだ。しかし、407~411のいずれにも、心の乱れは感じられない(410には、相模への皮肉を感じ取ることができるかもしれないが)。
なぜ、相模は走湯権現に”心のうちの見顕わし”をしたのだろうか。やむにやまれぬ自己表出の衝動にかられてだろうか。そもそも、相模の奉納百首の意図は何か。
今の私にはまだ何も見えないが、308で夫を賤の男、定頼を高嶺の人として引き比べ、なおかつ「なびきながらも身にぞしむ」と歌う相模の複雑な心理、509~513を通して感じられる、権現僧に対して切って返すような自尊心の高さに、現代に生きる女性に通じるような生命力を感じるのだ。