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私の第三十四夜をつづります。

相模集-由無言4 相模集への問いかけ

 『相模集』は私が自ら進んで手に取った初めての古典だ。理由はひとえに”11世紀の相模国”に近づくため。つまり、11世紀の相模国司、11世紀の相模国国司館、11世紀の相模国について、何か知り得るものがありはしまいか?という好奇心からだ。
 しかし、その当初の好奇心に加えて、走湯権現奉納百首、思いがけない権現僧の返歌、さらなる相模の百首奉納(権現僧への返歌)という特異な構成や、日記でもなく物語でもなく、どこに真情が顕われどこに創作があるのか見極めのつかない歌群の集成に対する興味がしだいに大きくなっていった。
 今、走湯権現奉納百首について、私の問いかけがいくつか生まれている。
*三部構成は現実の流れそのままに生まれたものか
*権現僧の返歌は誰が詠んだか
*相模と大江公資との関係はどのようなものであったか
*相模はどのような人か、彼女の人生の第一義は何か
*『相模集』とは何か
 これらについて自分なりの答えを出せる自信は無い。ただ、11世紀という時代を生きて歌集を残した相模を通して、私が学ぶことがあるだろうと思う。まずは、大きな問いかけではなく、相模に関する小さな「はてな」について考えることもしてみたい。
 で、これまで私が感じてきた「はてなの一つ」についての、今日の「とりあえずの答え」は次のようなものだ。
○相模は大江公資の”正妻”ではなかったのだろうということ。当時の相模が、大江公資の”正妻ではない「女」の一人”であったと前提して『相模集』を読んでみようということ。