今夏、図書館の奥の棚から初めて手に取った重厚な書物・・・今、この『新編国歌大観』を学生時代から読んでいたならと残念に思う。そのなかには、過去の人々の命、思い、詞がずっしりとおさまっていた。そして、『相模集』を囲むように、相模を廻る人々の歌集が一群をなしていた。能因、定頼、和泉式部、そして藤原範永。遺された作品によって、その像をわずかに知り得る人々だ。
藤原範永も相模について調べる中で初めて知った名だった。彼の歌集の中にも相模との歌のやり取りがあった。それらを『新編国歌大観』(角川書店 1985年)から引用させていただく。
さがみの、ひさしうおともせざりしに、はなのさかりになりにけるころ
127 はなざかり 身にはこころの そはねども たえておとせぬ ひとはつらきを
かへし
128 もろともに はなをみるべき 身ならねば こころのみこそ そらにみだるれ
月をながめて、さがみがもとにいひける
146 見る人の そでをぞしぼる あきのよは 月にいかなる かげかそふらん
かへし、さがみ
147 みにそへる かげとこそ見れ あきの月 そでにうつらぬ をりしなければ
さがみ、ちかきところにて、正月ついたちのほどにゆきのふるに、かくいひたる
150 うらやまじ 夜のまふれども やどちかき あたりのゆきは しるく見えけり
かへし
151 うぐひすの きなかぬやどは かきくらし まだふるゆきの はるとやはしる
またいひやる
152 うぐひすを またぬとなりの木ずゑには ゆきかかりても なきがたきかな
かへし
153 こずゑにも ゆきとまるとも わがやどに うぐひすまたぬ ひとはありやは
これらのやり取りを目にすると、11世紀の時代に生きた人々…ごく限られた特権階級の人々ではあるけれど…その表現生活と、21世紀の今に生きる彼我の表現生活との大きな隔たりを思い知らされる。
現代でも、人々の暮らしのなかで、季節の折々、桜や月や雪・鶯をめぐって、メールや写真がやり取りされているかもしれない。しかし、11世紀に生きた彼らのように、表現行為として言葉を自在にあやつることはかなわないだろう。思いをそのままに欠けることなく伝えることも、場合によってははぐらかし韜晦することも、今の私たちは、過去の人々の表現技術に及ばないし、たぶん、それを必要としてもいない。
誰かに伝えたい、誰かと共に感じ合いたい、という欲求は昔も今も普遍的にありながら、自分の言葉と表現に生き続ける形と命を与えようとするか、瞬時にただ消費するだけに終わるのか…過去と現在とでは、言葉の形が生活のなかで占める比重の差は大きい。きっと、時代というものに相応した表現生活というものがあるのだろう。
花に、月に、雪に、その折々に相模に歌を贈る時、女性歌人としてどのような歌を返してくるだろうか…そのような期待が感じられるのだ。
そのような範永に対し、相模はその気持ちを余裕をもって受けとめ、範永の期待を裏切らない歌を返しているように思える。どちらかと言えば、範永が積極的に働きかけ、相模が柳に風の風情で受け流す・・・そのような関係を想像させる。