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私の第三十四夜をつづります。

11世紀中頃の土器(大型鍛冶工房)

 27日に桜木町で開かれた公開セミナー(かながわ考古学財団)で、湘南新道関連遺跡の遺物が展示されていた。相模国府域の遺物を見るのは夏以来だ。それも、国庁西脇殿と重なる位置に展開した大型鍛冶工房の資料だった。その鍛冶工房の廃絶時期(11世紀中頃)の決め手となった貴重な土器。坏を埦でかぶせるように、入れ子状に伏せ置かれた姿で出土したと説明されている。初めて知ったことのようでもあり、すっかり忘れていたことのようでもあり・・・。私が報告書をまるできちんと読んでいないことだけは確かなようだ。
 8世紀~9世紀代の土器に比べ、いかにもざざっ(雑々)とした作り方が、11世紀の相模国府の時代の雰囲気を伝えているように思われた。写真撮影の許可をもらい、携帯で撮らせてもらう(ガラスを通さずに遺物に近寄ることができて嬉しい)。
 この大型の鍛冶工房は、歌人相模が滞在していた11世紀前半にはまだ稼働していたことになり、それは大江公資が政務を執ったであろう国司館も、この鍛冶工房からそう離れてはいないことを示唆しているように思える。こんな土器の時代に、相模たちは平塚の地で数年間を過ごしたのだ・・・。
 お昼休みに外に出ると、台風の去ったあとの「みなとみらい」の空は真っ青だった。人々は秋の休日を楽しんでいる。11世紀と21世紀は本当につながっているのだろうか。今の私には21世紀もとても遠い世界になっているように感じた。
 
11世紀中頃の埦と坏(大型鍛冶工房)
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   入れ子状で出土したようす(説明写真より)
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2013年10月27日の「みなとみらい」
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