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私の第三十四夜をつづります。

相模集-由無言15 範永集のなかの相模(2)

 ここしばらく、相模について自分の思いを繋げていくことができなかった。寝ても覚めても自分一人の内面世界と会話を続けていくことなどできない。たとえ山里深く棲む世捨て人であっても、日々何かしら食べていかねばならない。60歳を過ぎながら、しがらみと煩悩のなかで生きる凡人なら猶更だ。
 それでも、私にとって、日々の現実生活で接する外界よりも、”相模”を扉として入っていく過去の世界のほうがなぜか近しく親しく感じられる。11月を迎えてしまった今日、『範永集』のなかの相模について、思い残したことを書き始めてみた。
 
 『範永集』(『新編国歌大観』 角川書店 1985年)から引用させていただく。
 
     はらからにふみやるとききて、かく
88 あづまぢの そのはらからを たづぬとも いかにしてかは せきもとどめむ
     かへしにいひやる
89 ははきぎの そのはらからに たづぬれば ふせやにおふる しるしとをみむ
 
(『範永集』の全釈本があれば妄想に惑わされずにすむのだけれど…と言い訳しつつ)私が気になったのは、これらの歌の「そのはらから」の言葉だった。
 
 『相模集全釈』から引用させていただく。
 
     はらからとのみ言ふ人の、「関のひまあらむをりは」といふもあやしければ
131 東路の そのはらからは 来たりとも あふさかまでは 越さじとぞ思ふ
【通釈】 「はらから」と呼びあおうといつも言っている人が、「こっそりひまをみてお逢いしたい。」というのも怪しからぬことなので
    東国の曽の原から「はらから」と呼びあうあなたがおいでになっても、私は、逢坂の関を越えてお逢いすることはしないつもりです。
 
 私の妄想は、これらの『範永集』と『相模集』のなかの「そのはらから」が結びつくことはないのだろうか、というものだ。お互いの存在を意識していたはずの範永と相模の関係だからこそ、88・89と131の「そのはらから」の言葉が相互に響きあっているように感じられたのだ。
 もし、私の妄想…88が範永の歌であり、相手の女性の「かへし」は省略されており、89も範永の歌であり、さらに相模の131の歌は、範永への「かへし」として88と89の歌に挟まるはずのものであった、という妄想…が成り立てば、私なりに相模の人生に一歩近づいたことになる。私には、そんな妄想にひたる時間そのものが楽しい。
(ただ、そもそもが、今の私は『範永集』の88と89の歌の解釈・背景を正しく理解できていない。まず、88の詞書の意味が不明であり、88と89の歌を詠んだ主体すら読み取ることができない。おそらく、いつか88と89の歌の正しい解釈を知り、愚かな妄想を巡らせた日々を恥じ入りながら思い出すことになるのだろう。)