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私の第三十四夜をつづります。

「賀陽院水閣歌合」③


~心象風景:どよめきの背景(『相模集』244と594の歌から)~

「中夏 242 引きながら うきのあやめと 思ふかな かけたる宿の つましわかねば」に続く244の歌は、594(「賀陽院水閣歌合」出詠)と同じように、夏の“牧”の景観を詠み込んでいる。
 
244 まこも草 よどのわたりに かりにきて 野飼ひの駒を なつけてしかな
 
三十講の歌合せに、五月雨を
594 五月雨は 美豆の御牧の まこも草 かりほすひまも あらじとぞ思ふ

             【『相模集全釈』(風間書房 1991)より引用】
 
594は、降り込める五月雨を慨嘆しない。前半は心地よい音をたたみかけ、濡れそぼつ自然を瑞々しく浮かび上がらせる。後半は一転して、ままならない人間の営みを対比させ、「あらじとぞ思ふ」ときっぱり結んでいる。
これに対し、244の歌は「美豆の御牧」と似た「よどのわたり」の牧のイメージを展開しながら、最後は「なつけてしかな」と、ごく個人的な内なる思いへと収束させている。
また、242のような夏の季節感にも乏しく、「まこも草」や「よどのわたり」の歌詞も、すべて「なつけてしかな」の詠嘆を引き出すための仮想風景のように思えてくる。(『相模集全釈』によれば、「よどの」は「夜殿」を意味するようだ。)
244594は、同じような雄大な牧の風景(桂川宇治川・木津川が淀川へと流れ込むあたり)を詠み込みながら、後者の歌は、なぜ人々にどよめきをもって迎えられたのだろうか。
そのどよめきの背景を考えると、一つの想像へと飛躍する。
大江公資は相模国司の任期中(1021下向~1052上京)に早川牧、また遠江国司となっては質侶牧の経営を手掛けたようだ。史料から、その子孫に相当の資産を残していることが分かっている。
受領としての大江公資のイメージは、たとえば日本の高度経済成長期を経て、(その評価は別にして)がむしゃらに働き、がむしゃらに財を蓄えた団塊世代のサラリーマン経営者たちの姿とだぶる。それは当時の受領に共通するイメージでもある。
594の歌は、当時の受領たちが、それぞれの任地や私領地で眼にした梅雨のありさまと、それに伴って生じる彼らの心象風景を、ありありと喚起させるものではなかったろうか。つまり、歌人相模は(受領の妻としての経験を積んだからこそ)、594の歌によって、歌合に居並んだ受領経験者たちに、五月雨の季節の心象風景を鮮やかに呼び覚ますことができた…そのような想像をしている。