~心象風景:どよめきの背景(『相模集』244と594の歌から)~
「中夏 242 引きながら うきのあやめと 思ふかな かけたる宿の つましわかねば」に続く244の歌は、594(「賀陽院水閣歌合」出詠)と同じように、夏の“牧”の景観を詠み込んでいる。
244 まこも草 よどのわたりに かりにきて 野飼ひの駒を なつけてしかな
三十講の歌合せに、五月雨を
594 五月雨は 美豆の御牧の まこも草 かりほすひまも あらじとぞ思ふ
【『相模集全釈』(風間書房 1991)より引用】
594は、降り込める五月雨を慨嘆しない。前半は心地よい音をたたみかけ、濡れそぼつ自然を瑞々しく浮かび上がらせる。後半は一転して、ままならない人間の営みを対比させ、「あらじとぞ思ふ」ときっぱり結んでいる。
これに対し、244の歌は「美豆の御牧」と似た「よどのわたり」の牧のイメージを展開しながら、最後は「なつけてしかな」と、ごく個人的な内なる思いへと収束させている。
また、242のような夏の季節感にも乏しく、「まこも草」や「よどのわたり」の歌詞も、すべて「なつけてしかな」の詠嘆を引き出すための仮想風景のように思えてくる。(『相模集全釈』によれば、「よどの」は「夜殿」を意味するようだ。)
そのどよめきの背景を考えると、一つの想像へと飛躍する。
受領としての大江公資のイメージは、たとえば日本の高度経済成長期を経て、(その評価は別にして)がむしゃらに働き、がむしゃらに財を蓄えた団塊世代のサラリーマン経営者たちの姿とだぶる。それは当時の受領に共通するイメージでもある。