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私の第三十四夜をつづります。

歌人相模の初瀬参詣ルート探訪の続き③:「竹渕」(たかふち)、そして四天王寺

 初めての四天王寺
 
 これまで私が抱いてきた”日本の寺”のイメージには当てはまらなかった。
 開放的でどこかエキゾチック?な印象…市井の人々を受けとめる力が大きそうな…と言えばよいのだろうか。「へだてなき西の門」と詠まれた時代から、このような雰囲気だったのかもしれない。
 
 午後の予定に縛られた時間を気にしつつ、歌人相模が詠んだ連作9首の流れに沿って、境内をぐるぐると歩きまわった。

【西大門】
 1  極楽に 向かふ心は へだてなき 西の門(かど)より ゆかむとぞ思ふ
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石鳥居と西大門
鳥居は永仁2(1294)年に石造となる前は木造で、寛文期(1661~1672)に修理されたという。堂々として痛々しい姿。歌人相模の生きた時代はどのような姿だったろう。

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説明板の写真
石鳥居に掛けられた扁額には「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と記されていた。”極楽土の東門”である「西大門」からは、このような夕陽を拝することができるらしい。

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説明板の屏風絵写真(「四天王寺 住吉大社図屏風」)
四天王寺が建つ上町台地はかつて、その西辺にすぐ海が広がっていたようだ。歌人相模が生きた時代、どのような景観を繰り広げていたのだろう。この屏風絵からは、四天王寺が豊かな地下水にも恵まれていたようすが想像される。

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石鳥居の扁額

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西大門の転法輪