enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

高村薫さんからの一撃

 4月最後の日、八重山の旅の写真の山ももう少しで片がつく。
 まとめ終わったら、海岸に行こう。高麗山に行こう。
 こんな能天気な老人にガツンと強い一撃を加える記事が、今朝の『朝日新聞』に潜んでいた。
 
 まさに、思考停止した日々を生きてきた。
 今よりはもっとマシな社会に変えたい、という強い信念を持たずに生きてきた。
 それに基づく地道な行動はいつも人任せで生きてきた。
 自己満足のつまみ食いのような人生だった。
 それでも、そんな私にできることは?と探して生きてゆかなければならない。残り時間はそう多くはないのだから。平成最後の日、高村さんからの一撃を受けて、そう思った。
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「(…)大人も子どもも日夜スマホで他者とつながり、休みなく情報を求めて指を動かし続ける。そうして現れては消える世界と戯れている間、私たちはほとんど何も考えていない。スマホは、出口が見えない社会でものを考える苦しさを忘れさせる、強力な麻酔になっているのである。
 平成は、阪神淡路大震災東日本大震災をはじめ未曽有の自然災害が頻発した時代だが、振り返れば、大都市神戸が震災で火の海になっても、あるいは東北沿岸で1万8千人が津波にのまれても、またあるいは福島第一原発が全電源を失って爆発しても、日本社会の思考停止は基本的に変わることがなかった。
 復興の名の下、被災地では大量のコンクリートを投じた巨大堤防の建設が進み、原発は各地でなおも動き続け、いつの間にか持続可能な新しい生き方へ踏み出す意思も機会も見失って、私たちはいまに至っている。(…)
 平成が終わって令和が始まるいま、何よりも変わる意思と力をもった新しい日本人が求められる。どんな困難が伴おうとも、役目を終えたシステムと組織をここで順次退場させなければ、この国に新しい芽は吹かない。常識を打ち破る者、理想を追い求める者、未知の領域に突き進む者の行く手を阻んではならない。」
(『朝日新聞』 2019.4.30 朝刊 「思考停止 変える力を」<作家高村薫さん寄稿>から抜粋・引用)
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