草津での二日目、宿から”西の河原”に出かける途中、白根神社と光泉寺に立ち寄った。
昨年、初めて草津を訪れた際には、『(一人旅なら)寄ってみたいなぁ…』と見上げた場所だった。
二日目の朝は気温が低く、宿の周辺も靄がたちこめていた。
外に出ると、眼鏡がすぐに曇った。ベルツ通りから南に下り、湯畑に向かう。
凹地となっている湯畑に降りると、靄はもうもうと白さと濃さを増し、湯畑を見守るような白根神社や光泉寺の高みにまで這いのぼっていた。
(光泉寺の階段の途中でふり返ると、眼下の湯畑も人々の姿もミルク色の靄に埋もれ、もはや、音まで吸い込まれてしまっているように見えた。)
神社やお寺を囲む林のなかをゆっくり歩いた。
見かけた石像たちの表情に、素朴さ、愛らしさを感じた。
光泉寺では、友人のためにお守りを求め、また自分のために(?)”遅咲如来様”をお参りした(遅咲き…そもそも、蕾をもっていなければ、咲きようがないのだけれど)。
ふと思う。神社やお寺での自分の振る舞いは、あのミャンマーの人々とは、ずいぶん違うものではあるなぁと。
白根神社で
苔むすお地蔵様(光泉寺で)
釈迦堂の蟇股?:
そのアンバランスな屋根だけでなく、蟇股?に施された邪鬼
を踏む青い顔の天部像?や白い法輪も、強い印象を残す。