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私の第三十四夜をつづります。

何年ぶりか…横浜市歴史博物館へ。

 

2日、横浜市歴史博物館で開かれている「文化財展」に出かけた。
1月17日に「横浜のみほとけを語る」を聴いてから季節は進んだはずなのに、横浜の風は冷たく、博物館前の街路樹も寒々としていた。

何年ぶりだろう…久しぶりの横浜市歴史博物館だった。
展示室に入り、修理が完成した「横浜のみほとけ」たちにお目にかかる。

やはり、仏様を実際に拝する機会は貴重だ。
会場の「みほとけ」たちは、1月に見た展示パネル上の印象とはほとんど別の「みほとけ」として眼の前に在った。

向導寺の「みほとけ」の浅い輪郭線で表現されたような目鼻立ちは、仏像というよりシンプルで優しい線描画のように生き生きとしている。寶林寺の「みほとけ」は大きさ以上の存在感でまとまっている。近づいてのぞき込むと、思わず衣文の流れに引き込まれるような気がした。

また、證菩提寺の「みほとけ」も、両脇侍像を従えた三尊像として間近に拝することができた(素人の第一印象として、高みに座す阿弥陀如来像に比べて、両脇侍像がややこじんまりしているようにも感じたけれど、三尊像という様式の厳かさには、やはり両脇侍像の控えめな姿がふさわしいように思えてきたのだった)

そして、山本氏の講座のなかで證菩提寺とその三尊像について学んだあと、再び展示室に戻った時には、仏像として拝するというより、”岡崎義実が「源義朝菩提堂」を建立し、このように立派な形式の三尊像が作られ、證菩提寺造立に至ったのか…”という別の感慨が湧いたりした(12世紀の平塚には、頼朝より早い時期、鎌倉・亀谷に菩提寺を造立する志と力を持った人が生きていたことを、證菩提寺阿弥陀三尊像という形を通して実感することになった)


この日の山本氏の講座では、改めてその学問に対する誠実なお人柄を感じるに至った。また、この何十年か(一貫性も無く、雑多でとりとめない興味に引きずられて)さまざまに学ぶ機会を得てきたけれど、11世紀~12世紀という時代が、このような形で顕われてくることなど想像もしなかったなぁ…と思った一日だった。。

 

木造阿弥陀如来坐像泉区岡津町 向導寺 11世紀 像高83.6㎝)
写真右には、右耳の字形の溝)の始点位置に、講座で習った「耳珠」(豆粒のようなふくらみ)が見てとれる。

 

釈迦如来坐像(南区永田北 寶林寺 12世紀 像高51.9㎝)
目を凝らして切金文様を探したけれど、私のザル目では確認できなかった(また、まったく関連の無い”不埒”な連想として、両足の前に流れ出すように広がる衣文の襞を見て、餃子を作るイメージが浮かんでしまった…)

 

 

阿弥陀三尊像栄区 證菩提寺 平安時代 安元元年〔1175〕頃か 像高‐阿弥陀112.9㎝ 左脇侍105.3㎝ 右脇侍105.8㎝)
両脇侍像は天女のように優美で華奢な印象。こうした仏様たちに義朝や真田義忠が優しく迎えられることを願う気持ちが伝わってくる。

 

向導寺・寶林寺・證菩提寺の「みほとけ」の解説