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私の第三十四夜をつづります。

覚書:緑釉陶器の道

 伊勢原市茅ヶ崎市では毎年、考古資料展や遺跡調査発表会が丁寧に開催されている。また現地説明会が開かれ、私たち市民が見学できることも多い。発掘現場や生の出土遺物を観ることができる貴重な機会だ。昨日と今日、その機会に恵まれて、伊勢原市西富岡・向畑遺跡(展望台)と考古資料展、茅ヶ崎市本村の居村B遺跡を見学し、それぞれから出土した緑釉陶器を至近距離で観ることができた。
 とくに今回、伊勢原では陰刻花文、茅ヶ崎では緑釉緑彩の緑釉陶器が展示されていた。破片としても大きめで色調も美しい。どちらも平塚で出土したものと近い資料のように見えた。
 また、茅ヶ崎の居村B遺跡では墨書土器のなかに、「市」と鮮やかに墨書された灰釉陶器があって、当時の人や物の往き来についても思いが広がった。
 緑釉陶器を多く出土する平塚市の林B遺跡や相模国府関連遺跡群、伊勢原市石田の源太夫遺跡などに加え、今回の西富岡・向畑遺跡や茅ヶ崎市の居村B遺跡、そして下寺尾七堂伽藍跡など・・・これらの緑釉陶器を出土する点と点の遺跡が、いつか流通ネットワークとして確かな線(緑釉陶器の道)で結ばれるのかもしれない。その道を地図上に描き、実際に歩いてみたい。そのような日が来ることを夢見ている。 
                               伊勢原市西富岡・向畑遺跡(展望台)
イメージ 1付記:茅ヶ崎市では、「市」墨書土器が、西久保の間門川遺跡(土師器坏。9世紀後半?)、1987年調査の居村B遺跡(土師器坏。10世紀後半?)、今回調査の灰釉陶器埦(写真展示を含めると2点?)など、知る限りで少なくとも2遺跡(3地点)で出土している。これらの地点を明治24年発行の2万分の1地形図(「平塚驛」)で確かめると、いずれも河川沿いに位置している。旧相模川橋脚跡を通り、香川村・下寺尾村へと遡る流路(小出川)の途中に西久保村(間門川遺跡)があり、旧相模川橋脚跡の南で東に分かれる流路(千ノ川)の先、「八王子祠」の北側に居村B遺跡がある。古代の地形の復元図(「茅ヶ崎低地の地形発達史 7 奈良・平安時代鎌倉時代」)を見ても、その流路は大きく変わっていない。はたして古代において、これらの河川は「市」を形作るような流通路として機能していたのだろうか。相模国府域を通過する”緑釉陶器の道”もまた、河川や流路沿いの道を辿るのだろうか。