2012.4.15
古代の歌や古代の道を探索することは楽しい。楽しいだけに不安にもなる。『相模集』走湯百首歌群の世界をさまよい、妄想に妄想を重ねて落ち着かない気持ちだった。しかし、12日訪れた伊豆山郷土資料館では、平安時代の信仰の形を伝える貴重な仏像、経塚遺物などが、静かに確固として存在していた。虚構の混じる文字の世界とは一線を画して、別の形の”ことば”を語っているように感じた。”そのままに存在する”客観的資料の展示に安心する。
展示資料はおよそ三つの群をなしていた(伊豆山神社に伝わる文化財。昭和2年に発見された伊豆山経塚遺物。國學院大學による2003~2005年調査の遺物〔『静岡県熱海市伊豆山神社境内 伊豆山経塚遺跡 発掘調査』 2005 國學院大學考古学資料館〕)。
そして、平安時代後期の作とされる「木造宝冠阿弥陀如来像」とは別に、11世紀前半という歌人相模の年代に近い「木造男神立像」(平安時代中期 11世紀)が残されていることも新たに知った(京都での修理を終えた男神像は、今夏、市内の美術館による「熱海ゆかりの名宝」展で公開予定と聞く)。
この「木造男神立像」について、まず11世紀の作ということに驚き、像高2.12mという高さにも興味を惹かれた。奈良・法隆寺の百済観音像を越える高さの神像・・・誰が作らせたものなのか。なぜ2mを越える高さなのか。そして、修理中の神像の代わりに展示されている写真を見た限りの印象は、造形が写実的に過ぎるのではないかというものだった。
写真の神像は、『相模集』の走湯百首の時代の信仰の形が、ヌッと眼前に現れたような存在感がある。そしてリアルで不可思議な表情をしている。『相模集』走湯百首歌群において、走湯権現僧の返歌を大江公資の作と仮定して眺めてきたことと、生々しい神像とが、再び妄想の中で交錯する。当時の”走湯権現”は、どのような力を持ち、国司やその妻のような貴人たちとどのような接点があったのだろうかと。