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私の第三十四夜をつづります。

相模集-由無言2 「あつかはしきは 我が身なりけり」

 『相模集全釈』の「流布本相模集」から引用させていただく。(以後、『全釈』と省略)
「終夏     247 ながながと思ひくらせど夏の日のあつがはしきは我が身なりけり」
「はてのなつ 346 夏の日のあつがはしと思へども心に入れて言ふにつくかな」
「六月     450 夏の日のひみづにいりて言ふことをあつがはしとは思ふべしやは」
 
 11世紀初頭に相模が詠んだ歌は、古典の素養の無い私にとってさえ、言葉も意味合いもはるか遠いものではない(ものもある)。この247は、2013年の夏、日本のそこかしこでつぶやかれた言葉かもしれない。『全釈』では、「あつがはし」について「歌語としては用例が少ない」とされている。しかも、”こんな私こそが鬱陶しいことだ…”と自省的に思い至っていることが新鮮に感じられる。
 当時、30代前半の相模は、夫の関心が現地の女性に移っていることや、子が授からないことなどを思い悩む日々に埋没していたようだ。心も身体も遠ざかってゆく夫との関係を嘆く歌が多い中、247には、長い夏の暑さと思い悩む煩わしさに疲れ果てて自嘲気味になっている相模の姿がある。”もう、何もかもうんざり!”という彼女のつぶやきが聞こえてくるようだ。
 しかし、257に対する走湯権現の僧からの返歌346は身も蓋もない。「心に入れて言ふにつくかな」は、『全釈』では「心に深くとめて、同感することだ」とされている。「あつがはしきは我が身なりけり」の自省の言葉に対し、”実にその通りだ”と肯定されては慰めにならない。こうした、心の奥行きのないところが神(僧)らしいと言えばそうなのかもしれない(もし、346が大江公資の詠んだ歌であるならば、この頃の公資の心は確かに冷えていたのだろう)。
 しかし、相模は嘆くだけには終わらずに、僧の返歌に対し応酬している。450の「ひみづにいりて」は、『全釈』によれば、「氷水に入っているように冷えて」という意味と「心の中に入れて秘密にして」の意味とが重なった言葉とされている。この掛詞の技法は現在の私にははるかに遠い。『全釈』の解説無しには理解が及ばない…いや、解説されてもまだ曖昧な理解にとどまっている。私のイメージでは、”氷水に入っているような貴方に私の暑苦しい思いが分かるはずがないでしょうに”となってしまう(全く誤まった理解かもしれない)。
 こうして、2013年の夏、『相模集』を前にして、実に”あつがはしきは我が身なりけり”と共感して慰められている自分がいる。