enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

相模集-由無言18 「ただ白銀を葺けるなりけり」について

 277 あづまやの 軒のたるひを 見わたせば ただ白銀を 葺けるなりけり   
                                     <走湯権現奉納百首 はての冬>
 まだ、相模集のこの歌に迷っている。
 先に記した西山秀人氏の論考(「『枕草子』の新しさ-後拾遺時代和歌との接点-」)について書き足りないことがあった。
 氏の論考では、相模の歌の「白銀を葺ける」を、「軒のたるひ」をたとえた表現、とされていることだ。
 氏の解釈では、相模の視線は、なめらかに「軒のたるひ」を見わたすことになり、屋根の雪へと移ることは無い。つまり、私が感じた矛盾…先に屋根の雪への感動があったのなら(というより、主となる感動が、屋根をおおいつくす雪にあったのなら)、視線の移動が逆転しているのでは?という矛盾…は生まれない。
 それでも素人は素人なりに迷うのだ。「軒のたるひ」は果たして「白銀を葺ける」ように見えるのだろうかと。私は「軒のたるひ」のイメージを、細身の剣のような形に思い描いていたのだ。そして、『相模集 全釈』の通釈も次のようなものだ。
 
  「あずまやの軒のつららを見渡すと、一面に真白で、ただもう銀で屋根を葺いたように見えるのでしたよ。」(『相模集 全釈』より)
 
 つくづく面白いと思う。一つの歌を詠んでも、それぞれ思い描くことは少しずつずれることが。そして、過去に詠まれた歌のなかの小さな詞が、のちの人々にさまざまに吟味されて生き続けていることが。