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私の第三十四夜をつづります。

藤原定家と『相模集』

 

2013年頃だったろうか、初めて手にした『相模集全釈』(風間書房 1991年)。
この本を読めば、もっと歌人相模のことが分かるはず…冒頭に掲げられた序文を、ドキドキしながら読み始めたことを思い出す。

その序文にまず、心を動かされた。
刊行をなしとげた研究者たちの姿を思い描き、敬意を抱いた。

続いて、いよいよ始まった本文は、”流布本相模集の諸本についての解説”。
しかし、専門書・研究書と縁遠かった私は、そこでいきなりつまづいた。
すぐにでも歌人相模の歌の世界へ…とはやる気持ちもあって、”諸本の解説”の文面を、未消化のままに読み流してしまった。

ただ今回、読みかじりの『定家八代抄 続王朝秀歌選』をきっかけに、
*国指定重要文化財『相模集』というものが存在すること、
*その『相模集』が藤原定家による奥書をもつこと
(奥書には、”1221年、定家が『相模集』を失い、1227年、大宮三位〔藤原友家〕の本をもとに書写した”旨が記されていること)、
を初めて知ることとなった。

そのことを知って、何か引っかかるものがあった。
その重文『相模集』について、あの『相模集全釈』の”諸本の解説”で触れられていないはずはないと思った。

改めて『相模集全釈』の”諸本の解説”…そのなかでも、「浅野本」に関する部分を読み直してみる。
そして、その「浅野本」というものが、国指定重要文化財『相模集』にあたるのだろう…とようやく理解することになった。

定家が歌人相模の歌集を大切に思い、その歌集の形を残す強い意思を持ち続けたこと。

今回偶然に、そうした定家と『相模集』との不思議な縁のようなものを知って、歌人相模は歌人として強運の人だったのではないか…そう思わないではいられなかった。

さまざまなことについて、人々の意思と不思議なめぐりあわせがあり、今があることに思いを馳せる8月15日。

(定家と『相模集』との係わりが、『相模集全釈』の”諸本の解説”とはずっと縁遠いままだった私を、ひょんなことで癒してくれたことも含めて…。)

 

 雷雨のあと f:id:vgeruda:20190815140610j:plain