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私の第三十四夜をつづります。

歌人相模の初瀬参詣推定ルート(20231122):大和川右岸から左岸、そして再び右岸へ(2)

 


今回の旅の地図(再掲):下記の記事に関連する地点は図中の①・⑥~⑩

 

今回の旅で一番の収穫は、柏原市歴史資料館(⇒上掲の地図のでいただいたご教示だった(忘れないよう、ここに書き留めておきたい)
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奈良時代の龍田越えは、川沿いのルートと山中のルートの二つがあったと考えられる

平安時代になると、龍田道は(以下のような)川沿いのルートに戻ったと考えられる
 *柏原から(旧)大和川左岸を青谷まで
 *青谷で渡しによって右岸に渡り、峠越えで大和国に入る
 *このルートなら最も高い「峠八幡」付近で78mで、それほど困難な道ではなかった

奈良時代に山中のルートになったのは、(旧)大和川に河内大橋万葉集』巻9‐1742・1743高橋虫麻呂見河内大橋獨去娘子歌一首 并短歌」が架けられ、平城から難波まで、渡しを使わずに往来できるようになったからと考えられる
 *この道は川沿いのルートよりも高低差が大きくなるが、船を使わずに往来できる
 *しかし、河内大橋が傷み、高低差が大きいため、平安時代には川沿いのルートに戻ったと考えられる
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こうした「龍田道」のあり方平安時代、河内大橋は廃されていたとの前提)と、歌人相模の初瀬参詣7首をもとに、彼女が通ったと推定する「龍田道」ルートは、(歌が詠まれた順序によれば)次のようなものになる。
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【往路:京~(伏見)稲荷~あとむら~すがたの池~よしみね(良因)の寺/ふるの社~楢の社~初瀬

(伏見)稲荷を参詣後、「山崎駅」から河内国内の「南海道」を南下
*「津積 つつみ 駅」を経て山中ルート(現在の「雁多尾畑 かりんどおばた」を通る山道)に入る
大和国に入り三室山を越えて(旧)大和川沿いに出る 
〔註〕ここで、平安時代の「峠八幡」を経る「川沿いルート」を選ばずに、敢えて「山中ルート」を採るのは、下記の記事のように、亀の瀬の地滑り地帯を危うく感じているためだ。
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参照:
2019.04.09 歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道⑥ ~高向草春の歌~ - enonaiehon (hatenadiary.jp)             
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(旧)大和川右岸を進み「あとむら」(現在の安堵町あたり?)に向かう

*歌の順序に沿って(現在の安堵~菅田~良因寺~楢神社を想定)初瀬に至る

 

【帰路:初瀬~竹淵~京(次のA・Bのいずれも、難波から淀川を遡って京に戻るルート)
‐1 横大路で大和盆地を横切り河内国に入る(a・bなどのルートでA₋2へ)
    a:現在のJR桜井線~近鉄大阪線に近いルート(桜井~八木~高田~逢坂~関屋~田尻)
    b:竹内街道ルート

‐2 河内国分寺の地域~(石川を渡河)~竹淵(「渋河道」で四天王寺を経由)~難波へ

 


 *往路と同じルートで龍田道大和川右岸)に戻り、山中の青谷から大和川へと下る (往路と全く同じように龍田道をたどる場合、河内大橋で大和川左岸に渡る必要があるが、河内大橋は廃されているとの前提なので、青谷を下ることになる)
 *「夏目の渡し」で大和川左岸に渡る
 *河内国分寺の地域~(石川を渡河)~竹淵(「渋河道」で四天王寺を経由)~難波へ(①‐2と同じルート)
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参考用:これまで試行錯誤を重ねてきたブログ記事 

2022.10.06 
歌人相模の初瀬参詣:淀川①「大川」を訪ねる - enonaiehon (hatenadiary.jp)

2019.04.11 
歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道⑧ - enonaiehon (hatenadiary.jp)

2019.04.09 
歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道⑥ ~高向草春の歌~ - enonaiehon (hatenadiary.jp)

2019.04.08
歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道⑤ - enonaiehon (hatenadiary.jp)

 

~上記の【帰路】Bのルートの一部を歩く~

龍田道(青谷地区)から望む”芝山”(『万葉集』の「島山」とされる)⇒上掲の地図の
この地点で、大和川はS字状にくね曲がる。
(写真の山は、その屈曲部の先端。大和川 の字になり先端部を囲んで流れる。)
今回の旅で、この激しい蛇行の姿を実感し、「龍田川」と「龍」のイメージがピッタリ重なった(やはり「立田」ではなく、「龍田」なのだろうなぁ…と思った)

 

スリル満点の吊橋となっている「夏目の渡し場跡」(現在の川端橋)⇒上掲の地図の
手前の道沿いに「竹原井頓宮跡地」(青谷遺跡)があるはずだけれど、高い壁が続いて見つけることができなかった。
『コラム 龍田古道』(【コラム】龍田古道(2)飛鳥時代の龍田古道 | 大阪府柏原市 (city.kashiwara.osaka.jp))の地図には、(旧)大和川渡河地点として、この地点が推定されている。
もし、11世紀前半の歌人相模が帰京に際し、のルートを選んだとすれば、この地点を渡河したことになる(私は現時点では、A‐1のルートを思い描いているのだけれど…)

 

「夏目の渡し跡」・「夏目茶屋の渡し」の説明板:

 

吊橋(「夏目の渡し跡」地点)から”亀の瀬”方面を望む:
奥の橋は「国分大橋」だろうか。
地元の方々が勇敢にも自転車に乗ったまま、私の横をすり抜けてゆく…。

 

大和川左岸の「河内国分寺跡」前からの眺望(眼下に大和川、北の対岸に龍田山)
柏原市歴史資料館でいただいた地図には、大和川左岸のこの地から1.5㎞ほど西(芝山の西側)に「松岳山 まつおかやま 古墳」が載っていた。立ち寄るには時間が足りず、残念に思った(機会があれば、芝山産の石材が使われているというその古墳を見学したいものだ)

 

河内国分寺塔跡」:⇒上掲の地図の
吊り橋を渡り、急な坂道を登った先に広がる史跡。
この地にそびえていた七重の塔は、対岸の龍田山からはもちろんのこと、大和川を行き来する船からも壮麗な建築として目立ったことだろうと想像する(現代の私に見えるのは、高圧電線の鉄塔だけだった…)
また、高橋虫麻呂が「島山をい行き廻れる川沿いの…」と歌を詠んだのは、この付近だったかもしれない…などと思った。


河内国分寺塔跡」の説明板


説明板に示されていた「河内六寺」:
西を上、北を右にした絵地図には、旅の2日目に訪ね歩いた「河内六寺」の推定地が載っていた。北が上の見慣れた地図ではつかめない新鮮な視界だった(また、大和川がくねって回り込む芝山というものが、特異な地点として目に飛び込んできた)

 

河内堅上(かたかみ)駅への道で:⇒上掲の地図の
JR大和路線大和川をはさんだ対岸の山には、先ほどの「河内国分寺跡」が残る。
そして、尾根線には現代の鉄塔が並び立つ。その高さは、おそらく国分寺の七重の塔と同じくらいなのではないだろうか?


JR河内堅上駅付近の案内板と小さなJR河内堅上駅⇒上掲の地図の                            



こうして、私の三日間の旅は終わりに近づいた。
小さな駅を眼にして、今回もいろいろなことを見聞できたなぁ…という満たされた気持ちと、こうした旅をいつまで続けられるだろうか?という気持ちとが混じり合った。

最後に、帰りの新幹線に乗り込むまでの短い時間で、長谷寺駅に立ち寄らなくてはならない。
歌人相模が詠んだ「鍋倉山」の紅葉とはどのような景色だったのだろう?』…今回の旅では、そのことも確かめたかったのだ。

山の端に陽が沈みはじめようとする時間だったからなのか、長谷寺駅はひっそりとしていた。

どこまで歩けるか分からなかった。
時計を見ながら、坂を下ってみる。坂道から望む山には紅葉も黄葉もほとんど見当たらなかった。
長谷寺を抱える山はいったいどのあたり…?』

振り返れば、上弦の月が空に昇っている。もうここで駅に戻らなくては…と思い、ふと、道に佇んでいた地元の方(痩せた方で、かなり高齢と思われた)に尋ねてしまう。
「あのぅ…もう長谷寺まで行く時間がないのですが、このあたりから長谷寺は見えるでしょうか?」
尋ねながら、ずいぶんおかしな質問だと思ったけれど、その方は、坂の向こうに立ちはだかる山の右手の方向を指して「ここからは見えない…長谷寺はあっちのほうだ…」と答えてくださる。
私は「やはり、ここからは無理ですよね…」と諦め、駅に戻ろうとした。
すると、その方は「駅から見える…」と言葉を続けた。
『駅から? 本当に?』と俄かには信じられなかったのだけれど、その方が希望の言葉を残してくれたことに感謝した。
山の端の白い月を見ながら、息が切れるほどの速さで歩き続け、長谷寺駅に着いた。

少し肌寒さを感じるプラットホーム。
そのホームの端から端まで、カメラの望遠レンズを覗きながら行き来して、山の中に長谷寺らしきものを探した。

『…あったぁ…!』
確かに、確かに、カメラレンズは、山の緑とわずかな黄葉の中に埋もれた長谷寺の大きな屋根を見つけ出してくれた。

『あぁ、本当に駅から見えるんだ…』

ちょうど、一日の最後の陽の光に照らされ、幽かに浮き上がる長谷寺…。

『さっき、坂道にあらわれて教えてくれたあの人…もしかして歌人相模だった?…』

陽が翳り、山の中に長谷寺が溶け込んゆく。
電車がホームに入ってくる。

『さぁ、帰ろう!』
私の旅が本当に終わった。

 

長谷寺駅から観る紅葉・黄葉の山

 

長谷寺駅のプラットホームから覗いた長谷寺の大屋根:
懸け造りの本堂の姿なのだろうか(いつか、また訪れる日まで、さようなら…)