enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2017-01-01から1年間の記事一覧

”こんな人たち”の満月

内閣退陣を求めて人々が街に出た日。 その夜は満月。 いつものように静かな白い光。 2017年7月9日の満月

「統治者の選択」

図書館の棚から薄い文庫本を選んだ。 『民主主義の本質と価値 他一篇』(ハンス・ケルゼン 著 長尾龍一・植田俊太郎 訳 岩波文庫 2015年)。 何よりも、タイトルが眼を引いた。 ”民主主義の本質と価値”…について、私は何も知らない、と思った。 2015年の夏以…

2017.7.7

海に向かう通り…真新しい竹飾りが風に揺れる。 この何年か、涼しい七夕が続いていたけれど、今年は陽射しのある七夕になった。 そして、身体はすでにこの季節に負け、よどんだ泥のなかにある。這い上がる気力も無い。 そして、ずっと、海を見ていない、波の…

覚書:”静範”と”聖範”

歌人相模の足跡を訪ねるはずの旅…そのほとんどが寄り道ばかりだ。 その道草を誘うものは、「11世紀の伊豆」や「11世紀の相模」だったりする。 歌人相模の足跡をたどる手がかりが、「11世紀の伊豆」や「11世紀の相模」のなかにあるのではないかと、つい脇道に…

「丁寧な説明」

「丁寧な説明」とは。 馬脚をあらわさぬよう、注意深く話すことらしい。 道理で、説明を聞いても、知りたいことはさっぱり分からなかったのだ。 あれから数か月経って、分かった。 彼らにとっての「丁寧な説明」という言葉の意味とその用法。

コメントをいただき、ありがとうございます。

日々の暮らしのなかで、ふと、自分は本当にこの世界に在るのかどうか、心もとなく感じることがあります。 このenonaiehonを始めたことで、自分の意識に次々と生じるゆらめきを、文字(言葉未満)で表すことで、現実の自分の存在からは自由な自分(…

歌人相模の初瀬参詣ルート探訪の続き⑩:「竹渕」(たかふち)、そして四天王寺

6月が終わってゆく今、ようやく、旅のまとめの終点にたどり着く。 _________________________________________ 八尾駅南の細く古い道から国道25号に戻ったあと、志紀駅方向に向かう。途中の「天王寺屋地蔵」の地点…

思考の筋力と言葉

昨夕、前文科事務次官の会見を聞いた。無駄の無い平易な言葉が積み重ねられ、語り手が捉えている”形”が、聞いている私にも具体的なイメージとして伝わる…そのような会見だったと思う。 その声と語り方…どこかしら、養老孟司氏の声と語り方を想い出してしまう…

2017.6.20

一年が折り返そうとする”六月”という季節。 いつも特別な季節のように感じる。 自分の体が六月という季節と地続きのような不思議な感覚がよびおこされるのだ。なぜなのかは分からないけれど。 自分がアジアに生まれ、アジアの広がりのなかで生きている…とそ…

私は貴方が発した野次を忘れない。

先ほど、首相会見が終わった。予定調和的に。儀式のように。 何の意味があろう。

歌人相模の初瀬参詣ルート探訪の続き⑨:「竹渕」(たかふち)、そして四天王寺

竹渕神社から国道25号に戻り、亀井町で古道に入り、再び国道25号に戻る。太子堂(大聖勝軍寺)経て、植松町で再び細く古い道に入ってゆく。そのゆるやかな波状の古い道筋は、かつて大和川本流であったとされる平野川の蛇行跡をなぞっているかのように思える…

歌人相模の初瀬参詣ルート探訪の続き⑧:「竹渕」(たかふち)、そして四天王寺

旅の目的を、”自分の眼と足で確かめること”としながら、そこにはどうしても、自分につごうの良い材料を求める…というバイアスがかかってしまうようだ。 今回の旅のなかで、平野川に架かる小さな「竹渕橋」から高安山を望みながら、歌人相模の初瀬参詣連作7首…

『あきらめない…』

2015年夏の悪夢は2017年6月の今も続いている。 もうすぐ、長い悪夢から醒めることができるのだろうか。 いや、まだまだ、2018年以降も、この悪夢が続くのかもしれない。 白昼の悪夢の中で、総理大臣官邸の前で、みなが「あきらめない!」という思いを胸に刻…

”見えざる手”の行方

一強政権の岩盤に、小さな風穴が次々と開きはじめている。 内閣支持率という、国民の意向の流れにも、かすかな動きが見えはじめている。 それらの”見えざる手”の行方に、一強政権が忖度しはじめた、ということなのだろう。 そういうことなのだろうと感じた今…

歌人相模の初瀬参詣ルート探訪の続き⑦:「竹渕」(たかふち)、そして四天王寺

竹淵(たかふち)といふ所あり 110 旅人は こぬ日ありとも たかふちの 山のきぎすは のどけからじな (『相模集全釈』から) 今回の旅は、歌人相模の初瀬参詣7首をしめくくる110の歌の場所を訪ねる旅でもあった。 ◇「竹渕」とはどこなのか? ◇「竹渕」が八尾…

歌人相模の初瀬参詣ルート探訪の続き⑥:「竹渕」(たかふち)、そして四天王寺

寛弘期に天王寺連作9首を詠んだ歌人相模は、実際に天王寺を参詣したのだろうか。もし参詣したのであれば、その機会は、下に示した初瀬参詣連作7首を詠んだ旅の帰路上ではなかったか? そして、その時期については、『相模集全釈』の「年表」を参考に、次のよ…

古代の大型道路跡:国府台遺跡第192地点

3日、「下総国庁につながるとみられる古代の大型道路跡」が発見された市川市国府台遺跡の現地説明会に参加した。 これまで、東国地域で検出された道路跡を何度か見学した。その印象は、そのたびに個性的なものだった(つまり、地域それぞれで独自な姿を示し…

2017.6.3

朝から市川に向かった。 東京から総武線に乗って、ゴトゴトと川を越えてゆく時の風景が好きだ。車窓から見るスカイツリーの姿も浦島太郎には新鮮だ。 本当に久しぶりの市川駅だった。 まぶしい陽射しを背にして江戸川方向に戻る。その後は江戸川の土手を左に…

歌人相模の初瀬参詣ルート探訪の続き⑤:「竹渕」(たかふち)、そして四天王寺

旅から帰って、”荒陵山四天王寺”の周辺地域では、古墳時代の円筒埴輪などが発見されていることを知った。あの四天王寺の地に、かつて古墳が存在していたのだろうかと、わくわくとした気持ちになる。 また、西大門の石鳥居、亀の池の石舞台、亀井堂の石槽、宝…

「正々堂々」はどこに行った?

「大関の名に恥じぬよう、正々堂々、精進します」 今日聞いた言葉。 「正々堂々」。 久しく聞かなかったな、いい言葉だなと思った。 「名に恥じぬよう」の心意気というものを思い出させてくれたよ。 そして、なぜだか、今の国会の有様が頭に浮かんだんだよ。…

歌人相模の初瀬参詣ルート探訪の続き④:「竹渕」(たかふち)、そして四天王寺

今回の旅を終えたあとも、四天王寺について、さまざまな情報をあれこれとつまみ読みした。 そのなかに、国宝『四天王寺縁起』は11世紀(1007年)に再建された金堂内で発見されたもの…というものがあった。 その「1007年」(寛弘4年)が、歌人相模が天王寺連…

歌人相模の初瀬参詣ルート探訪の続き③:「竹渕」(たかふち)、そして四天王寺

初めての四天王寺。 これまで私が抱いてきた”日本の寺”のイメージには当てはまらなかった。 開放的でどこかエキゾチック?な印象…市井の人々を受けとめる力が大きそうな…と言えばよいのだろうか。「へだてなき西の門」と詠まれた時代から、このような雰囲気…

2017.5.28

駅前の公園の薔薇たち。 薔薇たちが命の盛りを迎えたその時。 時は薔薇たちの行く末を見通している。 公園の人魚姫は今、夕方の白い光と白い水しぶきを浴びながら、そうした薔薇たちの行く末を惜しんでいる。 5月27日の人魚姫と噴水 「絵のない絵本」第十八…

歌人相模の初瀬参詣ルート探訪の続き②:「竹渕」(たかふち)、そして四天王寺

5月6日、天王寺駅から四天王寺に向かった。 2013年夏、初めて『相模集全釈』を手に取ってから、”天王寺”(四天王寺)とはどのようなところなのだろう…と思い続けてきた。いよいよ、その”天王寺”を訪ねることになったのだ。 『相模集全釈』のなかで、「流布本…

歌人相模の初瀬参詣ルート探訪の続き①:「竹渕」(たかふち)、そして四天王寺

これまで、歌人相模の初瀬参詣ルートを推定してみようと試行錯誤を繰り返してきた。 そして、昨秋には、その一部を歩いてみた(実際の道でも試行錯誤の連続で、あらゆる道を迷いながら歩いた)。 そして、その怪しげな探訪の雑感を何回かに分けてまとめてお…

黒い鶴なのか。

今朝の朝刊TOPには「内閣府に押し切られた」の白抜き文字。 25日に報道された数々の生々しい映像と音声が再びよみがえってくる。 「ペリカン文書」ならぬ「鶴の一声文書」の実在を知った今、思うこと。 堅固な営巣地で育つその”鶴”の翼は白いのか、黒いの…

2017.5.24

この一週間で、木々たちの影の輪郭がくっきりしてきた。歩道は白く、並木の影は濃く…。 今日、横浜の眼科での待ち時間がこれまでの半分の短さだった。降ってわいたような2時間の空き時間。 横浜の公園で、鶴見の総持寺で、することの予定がない…つまり慌しく…

昨日、初めて知った歌のこと

私にとって、出逢う和歌といえば、初めて知る歌ばかり。 (昨日の講座のなかで紹介された歌も、聴いていた人々のなかで、たぶん私だけが知らなかったのかもしれない。) 初めて知って、すぐに心惹かれた。遅くなったけれど、知ることができてよかった。 (配…

国会議事堂と5月の青い空

19日、朝から鶴見に出かけた。午後になって国会議事堂前に向かう。 地下鉄の階段を上って外に出ると、拍子抜けするほどに青い空だった。 議員会館前の歩道で友人を見つける。 2015年夏のジリジリとした陽射しをいやでも思い出した。怒りも空しさも思い出した…

2017.5.18

昨日、歯医者さんからの帰り道で、久しぶりにムラサキツユクサを見た。 子どもの頃、近所の家の生垣の外に咲いていた地味な花。花そのものへの興味というわけでもなく、その名前を「ムラサキツユクサ」と覚えたことの記憶だけがずっと残っていた。 ムラサキ…