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私の第三十四夜をつづります。

2014-01-01から1年間の記事一覧

”巡礼みち”を歩く-飯泉そして多古-

2日朝、勝福寺(飯泉観音、弓削寺)の十一面観音像を拝するため、小田原に出かけた。 平安時代の十一面観音像を眼にし、また、”巡礼みち”(巡礼街道)の一部を歩くことができる貴重な機会だ。 (この”巡礼みち”は、明治20年測量の地図で見ると、国府津三ツ俣…

2014.10.29

月曜の朝、起きると咽喉がこわいほどに痛かった。しまった…と思っても遅い。二日間でティッシュの箱の中身が半分消えていった。それでも、葛根湯を飲み続けて、寝込まずにすんだ。 今日の午後、出席しなければならない集まりがあった。いろいろな人たちが集…

考古遺物が発する力

25日、有楽町で開かれた「遺跡の年代を測るものさしと奈文研」に出かけ、6人の研究者の方々の講演を聴いた。研究者という職業が本当にうらやましく感じられた一日だった。 26日は、「神奈川県遺跡調査・研究発表会」に出かけた。休憩時間に、会場の横浜市歴…

2014.10.21

まだみんな20歳前後だった。1971年の夏だったろうか、高校時代のサークル仲間と軽井沢に出かけたことがあった。夕食後、みんな車座になってゲームをした。質問者からさまざま出される問いかけに対し、それぞれが、「私だったら…」という答えを無記名で紙に書…

緑釉陶器の皿(秦野市寺山中丸遺跡)

18日、かながわ考古学財団の発掘調査発表会で緑釉陶器の接合片が展示されていた。秦野市寺山中丸遺跡1号住居跡の出土資料として、平瓦片とともに並べられ、その明るい黄緑色が一段と目立っていた。平塚市・茅ヶ崎市・伊勢原市出土の緑釉陶器は機会あるごとに…

2014.10.18

山の端に沈んでゆく太陽に手を振りたくなる。 秋の夕暮れは充たされた孤独。 夏の真昼はしんとした孤独。 冬の日暮れは根無し草の孤独。 光と闇のなかを孤独がうろうろする。 ちっぽけな孤独が太陽に手を振る。 10月17日の夕陽

2014.10.16

16日朝、「富士山に初冠雪」というニュースを耳にして、心誘われた。 秋の尾根道を歩きたい。 初夏にホトトギスの声を聞きたいと思いながら、とうとう出かけることがなかった高麗山。 出かけるなら今日だ。 国道の西の先に見える高麗山は、昔のままに愛らし…

2014.10.15

14日、西の空に雲が広がり、富士山の姿は望めそうになかった。 でも…と海に出かけた。 外にはキンモクセイの香り。海に向かう大通りに面した店のオリーヴも、民家の庭のクチナシも、少しずつ実を太らせている。 わずかに歩くだけで、光や空気や木々や花や生…

2014.10.10

10月10日。今日は陽ざしがある。台風が近づいているとは思えない。 去年の今頃の日記を読み返す。 昨秋は残暑が長引き、10月末に台風が去った後、体調がおかしくなったようだ。 あれから一年、再びうつぶせに寝る習慣が戻り、ちょっとした刺激で呼吸が怪しく…

2014.10.8

7日、能を観るために鎌倉に出かけた。 友人に誘われて、そして秋の鎌倉に誘われて、早起きした。今の私には、夜よりも朝早くのほうがありがたい。 長谷の街は店もまだ閉まっていて人通りもほとんどない。 能舞台はさらに静かな坂道の途中にあった。 肌寒い朝…

2014.10.6

平塚の海寄りの地域では、なぜか台風は穏やかに通り過ぎていった。 昼には青空がもどった。夕方になって、富士山を見ようと海に向かった。 国道近くで空気が急にひんやりする。 歩道橋の上から国道の先を見やると、逆光のなかに霧の白い漂いが見えた。ゴーゴ…

2014.10.3

午後、図書館に向かった。 9月末、みよし市立歴史民俗資料館から届いて、そのままになっている調査報告書を持って行った。(集中力が無くなって、まともに本を読めない。図書館でなら何とか読めそうな…。) 駅前の広場に出ると、空がいつもよりずっと高く広…

2014.9.30

29日、友人とともに「国会包囲共同行動」に参加した。 議事堂をめぐる歩道には、押しつぶされた銀杏たちのしみが広がっていた。 『戦争に巻き込まれれば、人々は銀杏と同じだ。無人機、有人機の空爆で、人は簡単につぶされてしまう。命がしみになるのだ。』 …

2014.9.29

昨日の夕方、散歩に誘われた。 今日は富士山が見えるかもしれない、との言葉に、じゃ行こうかな、と応じる。 今年はどうしてか、数えるほどしか富士山を見ていないのだ。 (応じ合って出かける・・・『陰陽師』の好きな場面を思い出した。晴明と博雅が「行こ…

2014.9.28

昨日の午後の空は灰色だった。ところどころに水色の空が隠れている。 こんな空が広がって、風が吹いていれば、自分の身体が透明になって、どこまでもさまよえるような気がする。 海の近くの松林の空には、トンボがぴゅんぴゅんと飛んでいる…そうか、そんな季…

2014.9.20

富戸から帰り、ようやく息を吹き返した。 家には、若い頃に出逢った懐かしい人から絵葉書が届いていた。ユングフラウと刻まれた消印だった。絵葉書を受け取るたびに、若かった頃への疼くような思いが駆け抜ける。 昨日は安曇野の友人からメールが届いた。7℃…

2014.9.19

9か月ぶりに富戸に出かけた。イガ栗や緑色のドングリが落ちる富戸の急坂。なぜか苦も無く登ることができて喜んだのも束の間だった。ふだん、海と図書館に通うだけの暮らしに老化が加わって、めっきり体力が衰えていたことを思い知る結果になった。 当日はま…

2014.9.15

13日午後、久しぶりにプラネタリウムで星空を見上げた。しだいに解説者の声が子守唄のようになって、ふっと意識が遠のく。 夏が影をひそめ、私たちの頭上には秋の星空、冬の星空が用意されはじめているのだ。時の流れは淡々と一方通行でとりつくしまもない。…

2014.9.13

数日前、いつものように図書館で午後の時間を過ごした。夕刻、外に出ると雨が降っていた。雨の中に土の匂いが混じっている。自分が草のように潤っている気持ちになった。 “蛇抜け”…“竜巻”…凶々しく荒れ狂う力を潜在させながら、雨風が穏やかな呼吸で海沿いの…

緑釉陶器…雑感(5)

林B遺跡第2地点出土緑釉陶器の産地 今回、林B遺跡の緑釉陶器を他の緑釉陶器…とくに「猿投窯」と特定されているような資料と比べて見ることで、初めて意識したことがあった。それは (当たり前のことなのだけれど)、同じ陰刻花文でも、それぞれ違いがあると…

日本列島展を見て

6日、両国で数多くの発掘資料を見学した。 類は友を呼ぶのだろうか、展示ケースを覗き込んでいたら、後ろから声を掛けられた。数年前、一緒にカラムシで編布の衣を作った仲間だった。まさか、こんなところで逢えるとは。近況も知ることができた。元気な顔が…

緑釉陶器…雑感(4)

~尾野善裕氏の講演「平塚市出土緑釉陶器の歴史的背景~なぜ大量の緑釉陶器が古代相模にもたらされたのか~」を聴いて~ 〔3〕緑釉陶器の輸送手段は? 尾野氏の講演を懸命に咀嚼しながら、ふと疑問に感じた点もあった。それは緑釉陶器の輸送手段についてだ…

緑釉陶器…雑感(3)

~尾野善裕氏の講演「平塚市出土緑釉陶器の歴史的背景~なぜ大量の緑釉陶器が古代相模にもたらされたのか~」を聴いて~ 〔2〕「正月歯固」そして「乞巧奠」 *「正月歯固」* 尾野氏の講演のなかで、「歯固め」という耳慣れない言葉が印象に残った。その儀…

2014.9.5

夏の疲れがたまっている気がする。昨日は久しぶりに海まで足を伸ばした。 浜では、日焼けした逞しい青年たちがラグビー(?)の練習をしていた。 この風変りな形のボールは、もし地面に落とされると、どのような動きをするのだろう、と思う。 (選手たちは、ボ…

緑釉陶器…雑感(2)

~尾野善裕氏の講演「平塚市出土緑釉陶器の歴史的背景~なぜ大量の緑釉陶器が古代相模にもたらされたのか~」を聴いて~ 〔1〕弘仁三年・六年の尾張国司“滋野家訳”のこと 『湘南新道関連遺跡Ⅱ』の報告書で、初めて尾野氏の論考を読んでから、すでに5年が過ぎ…

緑釉陶器…雑感(1)

平塚市出土の緑釉陶器について、今回の「みどり色の器展」や尾野氏の講演をきっかけに、また新たな疑問が生まれてきた。自分の楽しみ…“相模国府の時代”をさ迷う楽しみ…を持続させるために、これまでも気になっていたこと、新たな疑問など、とりとめなく思い…

2014.9.2

”九月になれば”・・・こんなに涼しくなってよいのだろうか。 夜になれば虫たちが慎ましく秋の音を響かせている。 図書館への道でカツラの黄葉を拾う。すでにキャラメルのような甘い香りがしている。 八月は心うつろに季節もなく過ごして、九月になった。八月…

なぜ相模国府、相模国司だったのか?

30日は、私にとって今夏唯一の”夏休みらしい一日”だった。 小さな会場で、ずっと楽しみにしてきた『平塚市出土緑釉陶器の歴史的背景~なぜ大量の緑釉陶器が古代相模へもたらされたのか~』(尾野善裕氏)の講演を、じっくりと聴くことができたから。 講演に…

「みどり色の器」展(8月21日~9月3日)

先日、平塚市博物館(寄贈品コーナー)で開かれている「みどり色の器」展を見学した。 市内出土の約1250点のなかから選び抜かれた緑釉陶器が華やかに展示されていた。 東博に貸し出されている優品、県が発掘し所蔵する資料、平博の常設展示品などを除いて、…

2014.8.23

7月の末からひと月・・・自分の時間を遠くに置き忘れたように過ごした。 昨夜、ドンと響く花火の音を身体に感じ、暗い窓辺から色彩の炸裂を垣間見て、ようやく、我に返ったような心もちになった。 夏が本当に終わってゆくことは、昨夜の風のやわらかさでもわ…