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私の第三十四夜をつづります。

2013-01-01から1年間の記事一覧

2013.10.6

時には空を見上げても心が飛びたっていかないことがある。 そんな時も、海を見れば何とかなる。 海をわたってくる風の音。荒々しく、また静かな波の呼吸。洗われた砂に映る夕焼け。 いつのまにか、私のなかに海がはいりこんで、海にひたされ、海にとけていく…

相模集-由無言12 和泉式部集のなかの相模

『和泉式部集全釈 [正集篇] 』(佐伯梅友 村上治 小松登美 笠間書院 2012年)において、和泉式部が相模や大江公資とやり取りした歌とされているものを引用させていただく。 471 我が宿を 人に見せばや 春は梅 夏は常夏 秋は秋萩 これを見て、一品の宮の相模 47…

2013.10.3

心とは時がそうであるように、とどめておくことができないものだ。人とかかわって生まれた思いが、時とともに遠いものになっていくことを、静かに受け止めている自分がいる。 時を経ることで、大切だったものは遠ざかるばかりで、やがて跡かたなく見失ってし…

2013.10.1

9月最後の日の夕方、海に出かけた。 浜から夏の名残はすっかり消えている。 崖のように高い段差の上に作られたボードウォークからは、白い波打ち際が隠れてしまっている。9月終わりの海は青い湖のように静まって見えた。 浜辺暮らしの猫が去ったベンチを振り…

相模集-由無言11 月のひかり

『相模集』の「権現の御かへり」と『能因法師集』の歌を眺めていて、”月のひかり”の言葉を含むものが目に留まった。 「権現の御かへり」の歌は、相模の歌に対応する返歌という制約がありながら、独自に”月のひかり”の言葉を用いていること、また能因の歌の場…

2013.9.29(2)

9月終わりの高麗山ですれ違う人々はみな気持ちよさそうだった。「なんていい天気なんだ。たまらんなぁ…」と大きく独り言する人もいた。きっと、それほどみな秋の空気を待ち望んでいたのだ。 木の間隠れに青い海が見える。蝶が彼岸花にとまってはせわしなく移…

2013.9.29(1)

40年ぶりに古語辞典を開くようになって、気が遠くなるほど綿密に明らかにされているそれらの古語の意味、類例…そこから伝わるニュアンスが、現代の私が感じるニュアンスと同じなのだろうか、と気になるようになった。 たとえば、現代の私の心の中で『高麗山…

相模集-由無言10 「権現の御かへり」(4)大江公資

一年半前の私は、相模の走湯百首に対する返歌を詠んだのは大江公資ではないかと、漠然と感じていた。 相模…都の歌人であり、相模国司の「つま」である女性…に対し、権現僧の立場で社頭に埋納された百首を掘り返し、「権現の御かへり」として返歌を詠むという…

2013.9.24

秋分の日、夕方近くに海に出かける。ドアを開けると、秋の空気が広がっていた。どこまでも誘われるような空気だ。 海岸には夕暮れまで休日を楽しむ人々が残っていた。 浜の片隅には台風18号で流れ着いた枝草を集めた袋がうず高く積まれている。そして、その…

相模集-由無言9 「権現の御かへり」(3)能因

「権現の御かへり」として返歌を詠んだのは誰か。 この問いかけを続けるのは、11世紀前半に生きた相模という歌人像を自分なりに描いてみたいと願うからだ。 「権現の御かへり」を実在した走湯権現僧が詠んだとする時、大江公資が詠んだとする時、そのどちら…

2013.9.20

昨夜の月を眺めた人は、いつにもまして澄んだ光に心動かされただろうと思う。 『能因集』から月を詠んだものを二首。 「222 命あれば 今年の秋も月は見つ 別れし人に逢ふよなきかな 」 「69 月はなほ あはれとものを思ふなり つれなき人は見ぬにやあるらむ …

相模集-由無言8 「権現の御かへり」(2)静範

1024年、相模は走湯権現に参詣し、百首を奉納したとされている。そして40年後の1063年、静範という興福寺の僧が伊豆に配流となったとされている。そして、その父・兼房が流刑地で暮らす子・静範を思う歌を大弐三位に届けている。その頃、相模がもし存命であ…

2013.9.18

秋そのものの空気になった昨日、再び海に向かった。 夕焼けに間に合いますように、と早足になった。 水色の空に刷毛で描かれたような薄い雲。 西空の一隅は刻々と夕焼けの色合いを増していく。 一番星も光っている。 歩道橋の上からの富士山の影絵は、刃こぼ…

相模集-由無言7 「権現の御かへり」(1)

相模の走湯権現奉納百首に対する返歌は誰が詠んだのか。 私はわずかな知識をもとにではあるが、①走湯権現の関係者、②相模と交友関係にあった人、の二通りを想定していた。どちらも、相模とそれなりに歌をやり取りできる力を持っている人であることは明らかだ…

2013.9.16

雨も風もおさまったので、夕方、海岸へ向かう。 松の落ち葉の吹き溜まり。 西の空に富士山のシルエット。 国道を渡る歩道橋に上がると、ドドーッという海の唸り声が聴こえてきた。 台風の余波の残る海は灰色に大きく盛り上がっていた。 海では休む場所がない…

相模集-由無言6 賀茂保憲女の「心の鬼」

「 憂き世には 花ともがなや とどまらで 我が身を風に まかせ果つべき 」 「 年ごとに 人はやらへど 目に見えぬ 心の鬼は 行く方もなし 」 相模という人を知った縁で、今日、賀茂保憲女という人の存在も知ることとなった。 賀茂保憲は慶滋保章とは兄弟…つま…

2013.9.14

静かな海面に一瞬、すっとした浪の稜線が生まれる。 そのまま滑るように岸へと進んでゆく。 浪は、じきに白い爪をたてて浜辺に到達する。 砂浜の斜面で行き場を失った浪が虚しそうにはじけ散る。 そしてふたたび、自らの形跡を消し去るように、なめらかな水…

鎌倉時代の石敷き道(伊勢原市上粕屋)

7日、伊勢原市№163遺跡の現場見学会に参加した。 遺跡の近くでは近世の大山道が出ているので(上粕屋・石倉中遺跡)、それが中世まで遡るのだろうかという思いで参加した人も多かったのではないか。 しかし担当者の方から、石敷き道の特殊性や周辺遺跡につい…

2013.9.8

この季節、友人が家庭菜園で初めて実らせた林檎を私に手渡してくれた。 セザンヌの林檎の色合い…嬉しい・すごい・食べたい…大事に持ち帰った。 今朝、皮ごと食べた。おいしい。平塚の林檎だ。友人が作った林檎だ。九月の林檎だ。

2013.9.5

夕方、外に出た。昨夜からあれほどの雨だったのに、散歩道の路面はもう乾いていた。雨のあとだからなのか、道脇の草叢が涼しげに呼吸している。オシロイバナの一叢は萩の風情で道端に身を投げ出している。 海岸に出ると、九月の浜辺は何もない浜辺に戻ってい…

相模集-由無言5 「さてそのとし館の焼けにしかば」と「焼け野の野べのつぼすみれ」

『相模集全釈』から230・329・433の歌を引用させていただく。 「 中春 230 若草をこめてしめたる春の野に我よりほかのすみれ摘ますな」 (相模) 「 仲春 329 なにか思ふなにをかなげく春の野にきみよりほかにすみれ摘ませじ」 (権現僧) 「 …さてそのとし…

2013.9.3

”小さな秋”を見つけようと伊豆に向かった。 しかし私もまた、”夏の後ろ姿”を追いかけることになった。 荷物を抱えて富戸の坂道を上がりきると、9月1日の陽ざしは気が遠のくほどに感じられた。絶え間ない車の流れが国道の路面まで熱くしているようだった。 亜…

2013.9.1

なかぞらに ゆらめく杉のもどかしく うしなひしもの ありやなしやと 秋風にとふ

2013.8.27-夏の終わりに

夏を追いかける(1) 夏を追いかける(2) 夏を追いかける(3) 夏の終わりの夕波 夏の終わりの夕雲

2013.8.27

毎週月曜日、私は『オチビサン』に会うのが楽しみだ。今の住所に住むようになってから出会ったオチビサン。もう7年も経つのに、絵物語のなかのオチビサンはちっとも変わらない。昨日は、オチビサンたちと一緒に夏の後ろ姿を見送った気持ちになった。 そして…

相模集-由無言4 相模集への問いかけ

『相模集』は私が自ら進んで手に取った初めての古典だ。理由はひとえに”11世紀の相模国”に近づくため。つまり、11世紀の相模国司、11世紀の相模国の国司館、11世紀の相模国について、何か知り得るものがありはしまいか?という好奇心からだ。 しかし、その当…

2013.8.26

夏が終わってゆく朝 リ・リ・リ・リ・リ・リと 静かに時がきざまれて 夏鎮まると虫がつぶやく

相模集-由無言3 相模の「心のうち」

『相模集全釈』から、相模と権現僧の歌のやりとりを引用させていただく。 「 心のうちをあらはす 305 忍ぶれど心のうちにうごかれてなほ言の葉にあらはれぬべし 306 手にとらむと思ふ心はなけれどもほの見し月のかげぞこひしき 307 みつの星天つ星をもやどし…

2013.8.23

「処暑の夜を炸裂させて 木の間隠れの一瞬 花燃えつきる」 (南の窓越しに花火を見ながら) ________________________________________ 「た~まや~っ!」 西の窓からは、子供たちの歓声が聞こえてくる。なぜか「…

相模集-由無言2 「あつかはしきは 我が身なりけり」

『相模集全釈』の「流布本相模集」から引用させていただく。(以後、『全釈』と省略) 「終夏 247 ながながと思ひくらせど夏の日のあつがはしきは我が身なりけり」 「はてのなつ 346 夏の日のあつがはしと思へども心に入れて言ふにつくかな」 「六月 450 夏の…