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私の第三十四夜をつづります。

2012-01-01から1年間の記事一覧

歌人相模の時代から中世へ-佐伯経範のこと③

佐伯経範の生没年を『陸奥話記』をもとに推定すれば、997年前後~1057年となる。 (ただ、彼が”藤原公光の子”であるとすると、次のように年代が合わなくなる。 【父・藤原公光について】 『尊卑分脈』では「従五位下相模守、実父公行、母兵衛佐?文女 上東門…

歌人相模の時代から中世へ-佐伯経範のこと②

『武士の成立』を読む途中で、”佐伯経範”のことを図書館で調べてみる。 彼が相模国人であること、源頼義が勝利を得た前九年の役のなかで戦死したらしいことに興味を持ったからだ。 11世紀前半の相模国司大江公資、源頼義…彼らと同時代に生きた佐伯経範を知る…

2012.10.2

9月30日の満月は嵐の中だった。1日の未明、窓を開けると風はおさまり、海鳴りと虫の音だけが聴こえた。もう一度目が覚めた時には、虫の音は止み、海鳴りの音もかすかになっていた。 午後、海に出かけると、昨夜の台風の名残りがあった。松林一帯の空気は海…

歌人相模の時代から中世へ-佐伯経範のこと①

つい最近まで興味を持てなかった中世という枠組みの時代。 しかし最近、11世紀~12世紀前半の相模国府に思いを馳せるなかで、相模国が奈良時代・平安時代を経ながら、どのように鎌倉時代へと流れ込んでいったのか、しだいに気になり始めていた。 そうした今…

2012.9.27

ほぼ同じ時間に散歩を続けていると、ある日、「あぁ、季節が移り変わったんだ・・・」と思うことがある。 昨日の夕方、海に近づくと空は赤トンボでいっぱいだった。しばらく、アキアカネの空一面の乱舞に見とれる。 勢いよく飛び交ってめまぐるしいほどだ。…

2012.9.18

昨日の夕方、散歩の帰り道で雨が降りだした。 耳が雨音に塞がれてしまうような強い雨。 ビニル傘をさしてもずぶ濡れになった。 さっき眺めてきた、平塚市美術館の外に立つブロンズ像も容赦なく雨に濡れているだろう。 これまでも何度も眺めた作品なのに、あ…

2012.9.16

9月になって、浜辺は夏の顔を片付けて素っ気無い。そして静かだ。 浜辺暮らしの猫は夏バテだろうか。それとも人疲れだろうか。そっとしておいて、とうずくまっている。 渚には舞う人・・・夕暮れの風と波から生まれたように舞っている。 9月15日の海

2012.9.15

”冥顕の恐れ”という言葉にひきずられながら残暑をしのいだ後、友人から新しい本を借りた。 『舟を編む』・・・友人は『コンニャク屋漂流記』という本を買うつもりで本屋さんに立ち寄り、なぜか、間違ってこの本を買ってきてしまったという。そんなことがあ…

2012.9.11

初夏、比叡山の山道を辿ってから4か月。 残暑の中、『僧兵=祈りと暴力の力』(衣川 仁 2010)を読むことが励みになった。 本を読むことで元気になる。心が覿面に元気になる気がする。 未知の世界に入りこみ、次へ次へと咀嚼してゆく。食べることに近い愉楽…

2012.9.1

暦は9月。 夏が終わると、いつも、一年の残りの時間のことを思う。 そして、今、自分は人生の何月ほどにさしかかっているのだろう、とも思う。 (落葉松の黄葉が散りしきるころだったら良いのに。) 確かなのは、私はずっと前に夏を過ごしたということ。 そ…

2012.8.31

昨夜、窓から眺めた空には雲ひとつなかった。 白く光る月が、小さな船のように静かに西へと進んでいった。 横向きに寝ころび、右腕をさしだすと、その影が鮮明な左腕になった。 本当に身体につながっているように感じられる、リアルな影の腕。 8月最後の日の…

2012.8.28

夏の光と秋の光の入り混じる高原で、 なつかしい風の声を聞いた。 落葉松林を抜ける風の声。 海岸の松林の梢を渡る昔語りの声でもない。 冬の夜、庭の竹笹にささやきかける声でもない。 やがて金色の雨を降らす落葉松林を抜けて、 風が今年の夏の終わりを告…

2012.8.25

昨夜、平塚の海辺で燃え上がるような花火を観た。 ハマヒルガオが咲いていた砂丘にすわって、夕暮れから打ち上げを待った。 西の空に富士の夕影、南の水平線に大島、見上げれば白い月、そして波の音と柔らかな風。 海岸線の町の光が点々ときらめき始めた。 …

2012.8.20

夏の戸に浮き輪のリースをかけてみたら 洗ったシャツがもうスローなダンスを踊ってる 南の風が忙しく絵日記のページをめくってゆく ワクワクする入道雲がしぼむまで 絵日記は白いまま 夏の戸はあけっぱなし

2012.8.15

時が砂のようであったなら、音をたてずにさらさらとつもっていく。 果てた命も砂のようであったなら、時とともに時にまぎれてつもっていく。 昨日の夕空には、久しぶりに富士のシルエットが浮かんでいた。 砂丘から富士を眺めようとして、あやうく、足元の青…

2012.8.13

昨日の夕方、散歩に出た。 オリンピックの男子マラソンの中継が始まる前には帰るつもりだった。 走る競技はシンプルで気持ちいい。 子供の頃からお正月の駅伝が楽しみだった。成長するにしたがって、新年の魅力はみるみる色褪せてしまったけれど、今でも、朝…

2012.8.9

8月の紺碧の空と強い陽射しには、子供の頃から、どこか死の影が隠れているように感じていた。 それは無意識に刷り込まれた記憶の影なのだろうか。 戦争を経験しなかった私は、語られるもののなかに、その影を感じ取ることしかできない。 『父と暮せば』とい…

2012.8.7

季節の記憶は光の強さや角度と係わっている気がする。 八月という季節の奥にあるのは、意識が遠ざかるような真昼間の光の記憶だ。 道を歩きながら、一瞬すべての音が消え、白い光に溢れた世界に閉じ込められる。 どこかですでに経験したような・・・時が止ま…

2012.8.4

去年の8月は馬入の花火も無く、薄暗く蒸し暑い節電の記憶が残った夏だった。今年は24日に花火が再開される。子供の頃は、実家の二階にあがって、暗い部屋から東の空を見守った。夜空いっぱいに大きな光の花が次々に輝き、儚く流れ消えるようすを飽かず眺め…

2012.8.1

昨夜、窓を開けて寝転がると白い月が高く上がっていた。 『もうすぐ満月・・・』 そう思いながらじきに寝てしまった。 若い頃、年配の知人がいた。電話連絡をする場合、夜は8時前に電話しなければならなかった。8時にはすでに寝てしまっているからだった。『…

2012.7.31

7月も終わってゆく。 週末の浜辺は人々で賑わうようになってきた。 浜辺暮らしの猫は、人の波が引くと、いつものベンチに戻り、いつもどおり西を向いて腹這い、遠くの海と空を見つめている(・・・ように見える)。何も持たず、何も語らず、泰然自若として哲…

相模国府域で11世紀代に継続する竪穴建物群

28日の平塚市遺跡調査・研究発表会のなかで、相模国府域の天神前遺跡第16地点の報告があった。 この第16地点の北100mに位置する第8地点(掘立柱建物3棟、竪穴建物36軒、土壙墓5基など)では、「郡厨」墨書土器(8世紀後半)、「国厨」墨書土器(9世紀中葉)…

第1回 平塚市遺跡調査・発表会

28日、平塚市で初めての遺跡調査・研究発表会に参加した。隣町の茅ヶ崎市で、同様の発表会をすでに22回重ねていることを思うと、やっと・・・というのが正直な気持ちだ(22年の継続と空白・・・その落差は、それぞれの地域の文化財に対する市民の向き合い方…

伊豆山神社の男神立像

今春の伊豆山神社参詣から3か月が過ぎた。 昨日、京都での修復を終えて熱海に里帰りした神像を、ようやく目の当たりにすることができた。美術館展示室の奥まった一部屋に、この一体だけが展示されている。神像の重量感、生々しい存在感に見合う空間だ。 初め…

2012.7.25

「サ・イ・カ・ド・ウ」 五つの音を並べた君は あの日から放射能の手垢にまみれ続けた 「再・稼・働」 今 三文字に編成され やみくもに働こうとする君は 勤勉にして愚かしい 擦り切れ果てるまで君を使い続けようとする吝嗇家たちの手から 君を奪い返すため…

2012.7.23

去年の梅雨明け頃、何をしていただろうか。今、海を眼の前にしても、津波のことを思い出さなくなっている。 老いが近しいものになった頃から、いろいろなことから遠ざかり逃げるようになった。できることなら楽に生きたいのだ。それでいい。いや、いいわけな…

2012.7.22

海への道すがら・・・今はヒルガオの花が元気だ。日本原産で”絆”の花言葉をもつという。夕方の光にピンク色が鮮やかに浮かびあがる。日本のヒルガオは可憐で元気で、カトリーヌ・ドヌーヴの妖しさは無い。フランスのヒルガオとはどのようなイメージの花なの…

2012.7.16

『われ想ふゆゑに想ひあり』とつぶやいて ふりむく駅に梅雨が明けてゆく

饒益神宝のこと

茅ヶ崎のシンポジウム『下寺尾官衙遺跡を考える』の中で、北B遺跡…下寺尾寺院跡(七堂伽藍跡)から駒寄川を挟んで南東に位置する…についても発表があった。 その北B遺跡の発表の中で、河道内祭祀遺物の一つ…皇朝十二銭”饒益神宝”…の余談として、「数が少な…

遺跡への思い

遺跡のなかには、やはり育まれてゆくものもあるのだ・・・15・16日と茅ヶ崎で開かれたシンポジウム『下寺尾官衙遺跡を考える』に参加して、そんな風に感じた。 十数年前、茅ヶ崎駅近くのビルの一室で、生まれて初めて古代瓦を見た・・・存在感のある瓦・・・…