enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2015-01-01から1年間の記事一覧

稲荷前A遺跡の調査

26日、友人の電話で、四之宮の泉蔵院近くで調査が始まっていることを知った。地図で地点を確かめると、家からは2~3㎞ほどの距離になる。幸いに涼しい日だった。図書館に行くついでに足を伸ばして現場をめざした。 2010年春から、相模国府の勉強からしばらく…

歌人相模の初瀬参詣ルート補記①:素性法師(良因)の「たつたやま」越え

歌人相模の初瀬参詣ルートの模索…その試行(思考)錯誤をひきずり、「竜田山」の歌語を気にかけながら『新編国歌大観』の「素性法師集」を眺めていると、次の歌があった。 _______________________________________ た…

2015.8.22

今朝は8時近くになって、ようやく眼が覚めた。いつもの通りに夢…たいていが、惧れや不安が掘り起こされたような夢…を見たけれど、いつになく良く眠った気もする。昨日、海に出かけて疲れたのか、疲れたのが良かったのか。 朝から海の風が部屋に吹き渡る。空…

2015.8.21

8月半ばを過ぎて、ようやく猛夏のトンネルを抜けることができた。身体はどうにか動かせるようになった。ただ頭はいっこうに働こうとしない。スリープ状態のまま、毎日が過ぎてゆく。 今日は海に行ってみよう、波の音を聴きに行こうと思った。午後になって外…

2015.8.14

12日の早朝、眼が覚めて窓を大きく開けはなった。もう一度ごろんと横になる。朝の空気の底からチチチチチ…かすかに虫の音が聴こえてきた。耳を澄ませてじっと待つ。静かな虫の音。チチチチチチチチ…。蝉たちの季節に続いて、次の季節がすでに始まっていた。 …

2015.8.8

昨日は午後になってうっすらと雲が広がった。海へと散歩に出た。いつもよりずっとゆっくり歩く。身体や心が一歩一歩揺すられていくうちに、暑さ負けも、ちょっとした鬱屈も、やり過ごせそうに思えてくる。どうこうないさ…と。 8月7日の海と海鳥 波打ち際の足…

2015.8.4

八月はいつも特別な季節として巡ってくる。 1945年8月に至るまでの歴史の重みが、常に透けて見える季節として。 今年の夏は、さらに特別な気持ちがする。 自分が生きてきた時代は、いったいどのような時代だったのだろう…自分の中からそんな声が聞こえてくる…

歌人相模の初瀬参詣ルート(4)

歌人相模の初瀬参詣ルートについては、往路・復路を組み合わせて、何種類かのルートを想定できることがわかった。ただ、参詣ルートを推定する材料とした初瀬参詣七首(104~110)のうち、「竹淵」(110)の地点が定まらないため、一つのルートに絞り込むことは…

2015.7.27

26日午後の日盛り。国会議事堂の周囲の木陰のない歩道では、ペットボトルと帽子は欠かせなかった。バッグも靴も、身に着けたものすべてが発熱し、背中側の記者会館のフェンスは素手で触れることができないほどだった。 包囲行動のなかで何回も繰り返される抗…

2015.7.26

約60年という長い時間、徒歩や電車で行き来できる狭い空間で暮らし続けてきた。今や、心身ともにすっかり、錆びついてしまった。頭も足も、使わない方が楽になってしまった。ただ、今のままで良いわけではない、とも思う。 構造構成主義・構造構成論という言…

歌人相模の初瀬参詣ルート(3)

三十講の歌合せに五月雨を 594 五月雨は 美豆の御牧の まこも草 かりほすひまも あらじとぞ思ふ (『相模集全釈』から引用) _______________________________________ これまで、歌人相模の初瀬参詣推定ルートにつ…

2015.7.22

21日、修善寺温泉に向かった。修禅寺宝物館を見学したいと思い始めてから、随分と時間がかかってしまった。 修善寺駅は驚くほど新しくなっていた。そして三連休後の修禅寺周辺に、観光客の姿は無かった。 念願の宝物館を見学する前に、修禅寺奥の院まで、「…

被葬者の夢

2010年春以降、私が考古学の学びの場に参加する機会はめっきり少なくなった。 それまで、縄文時代や古墳時代、そして古代と、それぞれの時代の遺構や遺物などを通して、考古学の初歩というものを、覚束ない理解力でコツコツと長い時間をかけて学んできた。 …

歌人相模の初瀬参詣ルート(2)

≪歌人相模 ~ 初瀬参詣の連作7首(104~110)≫ _______________________________________ 神な月 初瀬に詣づるに、稲荷の しものやしろにて みてぐら奉る 104 ことさらに 祈りをらむ 稲荷山 けふは絶えせぬ 杉と見る…

2015.7.17

昨日の夕方、雨が降り止んだ。 外に出ると、風も空も、遠くの海域を進む台風の呼吸を伝えていた。 海が見たくなる。 西へと伸びる海岸道路の行く手は細かい霧でかすんでいた。 浜に出ると、雨なのか波しぶきなのか、かすかな水滴が頬にあたる。 波打ち際に何…

2015年夏、独裁者から「日本を、取り戻す」

2015年の夏、日本という国が遠いところに連れ去られていく いつからか民主主義が危うい国になっていた 「なぜなら私が内閣総理大臣なんですから」という言葉は 「なぜなら私が独裁者なんですから」という言葉と同じ意味をもつようになった 独裁者は民主主義…

歌人相模の初瀬参詣ルート(1)

三十講の歌合せに五月雨を 594 五月雨は 美豆の御牧の まこも草 かりほすひまも あらじとぞ思ふ 歌人相模は、1035年の「賀陽院水閣歌合」出詠以前に、美豆の御牧の実景を目にした経験があったのではないか、と想像している。もし歌人相模が、淀川流域(桂川…

「賀陽院水閣歌合」補記②

歌人相模の歌(「賀陽院水閣歌合」の五月雨の歌)の先例をもう少し探しておかなくてはと、再び私家集も眺めてみた。①178、②61・470の例はともに、実景を詠んだ歌ではないことに意味があるように思えた。『新編国歌大観』より引用させていただく。 _____…

2015.7.4

7月が近づいて、細い通りに早々と七夕飾りの竹が掲げられ始めると、いつも、『梅雨の七夕まつり…なぜ、この時期に?』と思う。そして、最近の梅雨は肌寒いことが多いな、とも思う。子どもの頃の七夕まつりは、夏の蒸し暑さと、歩くのもままならない人いきれ…

「賀陽院水閣歌合」補記①

「 延喜御時歌合に よみ人知らず 108 五月雨は 近くなるらし 淀河の 菖蒲の草も みくさ 生ひにけり 」 「〇五月雨 時鳥と配合され物思いを表すことが多く、このような叙景の例は珍しい。」 【『新古典文学大系 拾遺和歌集』(岩波書店)から引用】 11世紀前…

「賀陽院水閣歌合」⑤

「賀陽院水閣歌合」 二番 五月雨 左勝 さがみ 3 さみだれは みづのみまきの まこもぐさ かりほすひまも あらじとぞおもふ (『新編国歌大観』から) 三十講の歌合せに、五月雨を 594 五月雨は 美豆の御牧の まこも草 かりほすひまも あらじとぞ思ふ (『相模…

2015.6.30

2015年6月30日。 過ぎた半年のこと。これからの半年のこと。 また同じように過ごし、同じように省みるのだろう。その繰り返しだ。 「寸陰を惜しむ人なし。これよくしれるか、おろかなるか。おろかにしておこたる人のためにいはば、一銭軽しといへども、是を…

「賀陽院水閣歌合」④

「賀陽院水閣歌合」出詠の歌(『相模集』補遺歌群からの594)を、同じように五月の季節を詠んだ歌(『相模集』走湯百首一連の歌群からの242・244・341・343・445・447)と比べてみると、やはり一線を画した歌い方となっているように感じられる。それが歌人相…

猿投産緑釉陶器の生産地へ

24日、みよし市立歴史民俗資料館の企画展に出かけた。展示スペースに所狭しと展示された灰釉陶器と緑釉陶器素地。そのなかで、黒笹14号窯・90号窯の緑釉陶器素地、亀ヶ洞窯の緑釉陶器にしぼって、時間をかけて見学した。これまで見る機会がまったく無かった…

「賀陽院水閣歌合」③

~心象風景:どよめきの背景(『相模集』244と594の歌から)~ 「中夏 242 引きながら うきのあやめと 思ふかな かけたる宿の つましわかねば」に続く244の歌は、594(「賀陽院水閣歌合」出詠)と同じように、夏の“牧”の景観を詠み込んでいる。 244 まこも草…

「賀陽院水閣歌合」②

~心象風景:『相模集』242の歌から ~ 「賀陽院水閣歌合」で歌人相模は“五月雨”の歌を詠んだ。 その歌はなぜ、歌合に列席していた人々をどよめかせたのだろうか。 雨の季節、歌人相模はどのような歌の世界を作っているのか。 雨の季節を詠みこんだ相模の歌…

2015.6.21

終日青空だった。 国会議事堂の建物は淡いピンク色に輝いていた。 人間の鎖は真っ赤に燃え広がった。 赤、赤、赤。 赤、赤、赤。 赤い鎖が延々と国会議事堂を囲んだ。 赤い鎖は、巨大な国会議事堂に、青い空に、声を限りに訴えた。 集団的自衛権反対! 集団…

「賀陽院水閣歌合」①

「賀陽院水閣歌合」 八番 照射(ともし) 左勝 大江公資 15 さつきやみ あまつほしだに いでぬよは ともしのみこそ 山にみえけれ 歌人相模が出詠した「賀陽院水閣歌合」に、大江公資の歌も選ばれていることが、意外に感じられた。 この歌合を記録した漢文日…

2015.6.16

本当に久しぶりの海。 月曜の浜辺は、なぜか家族の姿が多かった。 とても幼い姉妹が、水着姿で小さな波と遊んでいた。 汗をかくほどの暑さでもない。でも冷たそうでもない6月の海。 波が腰まで寄せるたびに、小さな妹は立ちつくし、声をあげて瞳を輝かせる。…

ふたたび『賀茂保憲女集』から

2年ほど前の2013年9月、『賀茂保憲女集』という歌集があることを初めて知った。まず、作者が、歌人相模の母の従姉妹であることに興味をもった。乏しい読解力でわずかな数の歌を拾い読みした。彼女の歌集に風変わりな雰囲気、怪しい気配を感じた。その時、気…