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私の第三十四夜をつづります。

2019-01-01から1年間の記事一覧

秋田城出土の緑釉陶器

5月の末の慌しい旅のなかで、史跡秋田城跡と秋田城跡歴史資料館を訪ねた。 かつて考古学のサークルで活動していた頃、秋田城の”古代水洗トイレ跡”についての報道があった。その遺構の特殊さ(?)は印象に残っていたものの、秋田城跡まで出かけ、その復元建…

『9条入門』をドキドキしながら読み終わる。

『9条入門』の表紙カバーに1枚の写真が使われている。 そのキャプションには、 「1946年(昭和21年)11月3日、新憲法公布記念の祝賀大会に集まった都民に帽子を振ってこたえる昭和天皇(朝日新聞社)」とある。 その白黒写真の中央には、当時45歳の昭和天皇…

『9条入門』と5月の野薔薇

「 戦争は世界を破壊する。 戦争は権力を再分配する。 戦争は半永久的に社会を変え、制度を変える。 戦争は生き残った者たちの意識を深く、長く変える ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』 」 『9条入門』(加藤典洋 2019年 創元社)のエピグラフを読んだあ…

2019.5.9.

昨日は五月らしい光と風に誘われて、薔薇めぐりをした。 パイロット工場の垣根に、総合公園の薔薇園に、今年も惜しげなく咲いていた。 妖しく香るパパメイアン、あでやかなマリアカラス。 それぞれの美しさをもてあますようにも見える重い花冠。 風に揺れる…

八重山のチョウ③小浜島・竹富島

「春 てふてふが一匹 韃靼海峡を渡つて行つた。」 安西冬衛の一行詩…子どもの頃、国語の教科書で”習った”。 何を”習った”のかは忘れてしまったけれど、「てふてふ」と「韃靼海峡」の文字の形とその音感、広い海の上をひらひらと飛んでゆく蝶のイメージは、強…

八重山のチョウ②黒島

今回の八重山の旅を通して、島々の自然ののどかさ、風土の明るさを感じ続けた。いっときだけの観光客として、その貴重な自然とゆるやかな時間を味わったからこそ、琉球諸島の歴史には、私たちが知らない(知ろうとしない)重い時間の流れのあることを忘れては…

2019.5.5

まだ春なのか、初夏なのか…昨日、初夏の空気に切り替わったように感じた。 空気のどこかに冷ややかさが残っているのに、夏の光の粒が散りばめられている感覚。 駅前の人魚姫の公園の薔薇があんなにつやつやと輝いてみえる…初夏の色彩?…4日はそんな日だった…

八重山のチョウ①石垣島のチョウとガ

つい最近まで、新元号の典拠を巡り、『万葉集』…730(天平2)年、大宰帥・大伴旅人によって書かれた序文…が話題になっていた。それをきっかけに、その序文のなかで「庭舞新蝶」と、わずかに「蝶」の語が記されていることを知った。 奈良時代の大宰府で早春の…

八重山の野鳥③海辺や野原で

昨夏の旅で、初めて”バーダー”という言葉を知った。 さらに、”ライフリスト”というものがあるらしいことも知った。 初めて知る世界だった。 その世界を少しだけ語ってくれた人の雰囲気に、林や空や風やさえずりや羽ばたきのようなものも感じた。 そして、”バ…

八重山の野鳥②カンムリワシ

カンムリワシ…石垣市の”市の鳥”ということは前回の旅で知った。 今回、西表島で空高く旋回する姿を、石垣市内ではミミズを捕食する姿を目にした。 目の前でカンムリワシを見て意外に感じた。その名前から想像していた大きさ、近づきがたさはなかったから。む…

八重山の野鳥①リュウキュウアカショウビン

八重山の旅で、出会えれば嬉しいなぁ…と思っていたアカショウビン。 初めは西表島で偶然に、次は野鳥ガイドさんの案内で石垣市内を廻り、その姿を何回も目にすることができた。憧れていたものを実際に目にしたことの興奮。 『あぁ、あれがアカショウビン?!…

高村薫さんからの一撃

4月最後の日、八重山の旅の写真の山ももう少しで片がつく。 まとめ終わったら、海岸に行こう。高麗山に行こう。 こんな能天気な老人にガツンと強い一撃を加える記事が、今朝の『朝日新聞』に潜んでいた。 まさに、思考停止した日々を生きてきた。 今よりはも…

八重山の二つの星座

昨年3月、竹富島で「星見石」というものを初めて見た。 今年4月の小浜島では「節さだめ石」というものを見た。 それらの自然石が置かれた背景には、農作業に係わる実用的な意味があるらしい。 『石垣島の星見石について』(横尾広光 宮地竹史 2007年 国立天…

小さくて元気で明るい

小さな後ろ姿を見つめてしまうことがある。 ご主人が作ってくれた台車に萎えた後ろ足を預けて、屈託なく走り回る子犬。 スーパーのお菓子売り場の棚の前で、じっと見入ったままの子ども。 真剣に、生真面目にゆっくりゆっくり歩くおばあさん。 旅のなかで、…

亀井堂を見てから2年後のニュース

昨夜、眠気をさますような記事を読んだ。 (以下は、記事からの抜粋・引用) _________________________________________ 『四天王寺に7世紀の亀形石 奈良・酒船石遺跡と同構造』 2019/4/26 共同通信社 「四天王寺…

八重山のスミレとクチナシ

スミレは小さく細く、そしてたくましい。 クチナシは濃厚な白さと香りが蠱惑的だ。 どちらも、出会うとときめく(若い頃、そんなことはなかった)。 スミレ、クチナシ…八重山の旅でも出会った。 スミレは夏のような陽射しのもとで。 クチナシはスコールのよ…

八重山で探す”田中一村の世界”

八重山諸島の旅で撮った写真を見ながら、もどかしく思う。 八重山諸島で感じた”何か”がつかめない。けれど、確かに”何か”…を感じた。 それはたとえば、カンボジアやベトナムの風土に通じてゆくような、”南”の光、”南”の空気感なのだろうか?と思ったりする。…

2019.4.22

私にとって、空を見上げて心が羽ばたくのは、やはり一人旅だ。 空や風や光が語りかけてくるのは、やはり一人旅なのだ。 それでも…一人旅ではなくても…旅の空を見上げずにはいられない。 14日から20日まで、一人旅ではない旅をした。 昨年3月とほぼ重なるよう…

石垣島の月、平塚の月。

平成という時代、私は何をしていた?… それは、どこか曇り硝子を通して思い出すような時間の広がり。 母の病気をきっかけに仕事を辞め、そして、生きる意味が分からなくなった日々。 なぜ、今日も明日も生きなければいけないのか…もがき続けた時代。 ある日…

今から47年前の街頭演説

今朝、【田中角栄 1972年 街頭演説】という動画を見た。 演説者は街の人々に語りかけながら、その一区切り、一区切りで、何度も、何度も、「みなさん!」という呼びかけをはさんだ。 その47年前のしわがれた声の呼びかけは、PCの前に座っている2019年の私…

2019.4.13

一昨日の夕方、図書館から外に出ると、空が風でざわざわしていた。 そのざわざわは、公園のクスノキやケヤキの大きな枝が揺れていたからだった。 空に満ちるざわざわの音を聴くのは久しぶりな気がした。 クスノキやケヤキの明るい色の葉や枝の重なるなかに、…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道⑨~最後に花園左大臣家小大進の歌~

おさらいしつつ、ようやく最後のまとめにたどりつく。 まず、今回の旅を経た現時点での妄想のまとめは、次の通り、だ。 *歌人相模が初瀬参詣の往路で「竜田道」を通ったとするならば、地すべりの危険のある大和川沿いのルートではなく、雁多尾畑~三室山を…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道⑧

今回の路程のなかでの最高地点”伝 龍田本宮御座峰”(約285m)から、「留所の山」の脇を東に下り、「三室山」へ向かう。 (ちなみに、斑鳩町龍田の西を南流する現・竜田川のほとり…大和川との合流点近く…にも三室山〔82m〕があるという。ただ、私は、高向草…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道⑦

道標が立つ横尾付近の分かれ道で、青谷へと下る右(南)側の道を選んだ。 金山媛神社に立ち寄って、雁多尾畑の集落へ行き着く道だ。集落へは、やや迂回する道になるのかどうか、左(北)側の道も歩くことで比較できるようになると思う(『また、この地を訪ね…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道⑥ ~高向草春の歌~

おさらいばかりで、なかなか写真のまとめが進まない。 (グダグダ・アレコレ悩み迷うことを整理し、文章化する能力があれば良いのだけれど…。) 気を取り直し、まず、「竜田道」で経由する可能性のある地点(ポイント)について、次のa・b・c・d・e・f を選…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道⑤

「竜田道」について、『日本歴史地名辞典 大阪府Ⅱ』(平凡社 1986年)には、次のような記述がある。 _________________________________________ 「…(前略)…大和の竜田本宮(現 奈良県三郷町の竜田大社)から西の…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道④

”歌人相模が神無月に「竜田越え」をしたとすれば、なぜその紅葉の歌を詠み残さなかったのか?” 前回、この点について、『歌人相模は、敢えて”歌枕”とは無縁の、人知れぬ山里で詠んだ歌を残そうとしたのではないか』…そのような想像を書いた。 その後、この疑…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道③

今回歩いた道筋は、二つの案内図をもとに選んだものだ。 準備段階では『近鉄 てくてくまっぷ 大阪-16』と、『かしわらガイドマップ①雁多尾畑の里と竜田古道コース』。そして、探索の途中からは『うぉーきんぐmap 龍田古道』に頼って歩いた。 《主な通過地…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道②

歌に名高い「龍田川」…子どもの頃、「アラ・タッタ」と覚えた”百人一首”の歌が、能因が詠んだことを改めて知ったのは、歌人相模のあれこれを調べ始めてからだった。 (その能因も長寺谷詣でに際し、歌人相模と同じように「伏見の里」を経由しているが、果た…

歌人相模の初瀬参詣ルートを探して:竜田道①

”歌人相模の初瀬参詣ルート”を探しはじめてから、4年の月日が流れた。 2015年7月17日の『歌人相模の初瀬参詣ルート(2)』では、次のように書き始めている。 ≪歌人相模 ~ 初瀬参詣の連作7首(104~110)≫ ________________________ …